5分でわかる天王山の戦い (山崎合戦) 羽柴秀吉X明智光秀

天王山の戦い

戦国時代の1582年6月13日、摂津と山城の境になる山崎(京都府乙訓郡大山崎町)にて、天王山の戦いと呼ばれる山崎の戦い山崎合戦がありました。
よく日本一を決める試合などで「天下分け目の天王山」(てんのうざん)と言う勝敗の分れ目を意味する言葉が使われますが、その天王山はこの山崎の戦いから使われた表現になります。
本能寺の変にて織田信長織田信忠を倒した明智光秀と、主君の敵討ち(かたきうち)として中国大返しを行い、急ぎ摂津に戻った羽柴秀吉とが、事実上の天下を争い、天王山の麓で合戦になりました。
この天王山は、西国から京に入る入口と言う交通の要所であり、南北朝時代や応仁の戦乱、その後の幕末の禁門の変でも戦争になっている場所です。
2019年大河ドラマ「麒麟がくる」でも、まさにクライマックスとも言える、明智光秀、最期の戦いには注目せざるを得ません。



6月2日に本能寺を襲撃した明智光秀は、その後に安土城、近江・長浜城などを占領し織田家反撃を警戒しました。
しかし、織田家で最大勢力の柴田勝家は、越中・魚津城上杉景勝と魚津城の戦いの最中であり、滝川一益も上野・厩橋城で北条勢と対しており、丹羽長秀は堺で四国攻めの準備中、羽柴秀吉は備中・高松城の水攻めのでがんじがらめ、徳川家康に至っては、堺を見物中と、敵になるであろう織田勢はすぐに京を目指せないと考えていました。
そのためか、柴田勝家に備えるべく、まずは近江を重点に明智勢に従わせて行きました。

もちろん畿内の諸大名に対して、明智家に味方するよう促しましたが、武田元明京極高次など従ったのは少数でした。
筒井順慶だけでなく、明智光秀の娘・細川ガラシャの嫁ぎ先である、細川藤孝細川忠興も、明智家への支援を断っています。

明智光秀も優秀な武将ですので、山崎の重要性は認識しており、男山(天王山)に守備兵を入れていました。
しかし、6月10日になって、豊臣秀吉の接近の知らせが届くと、洞ヶ峠(大阪府枚方市)を撤収して急いで淀城勝竜寺城の改修工事に入り、男山の守備兵は退却させています。
要するに、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が約230kmを僅か10日間で急反転したことは、想定外だったようで、明智勢は各地から戦力を充分に集められないまま、羽柴勢と対することになりました。



羽柴秀吉は、四国攻めの総大将の予定だった織田信長の3男・織田信孝や丹羽長秀・蜂屋頼隆堀秀政・織田秀勝と合流しました。
また、摂津の国人である高山右近・木村重茲・中川清秀や、織田家の重臣・池田恒興池田元助加藤光泰らも味方につました。
羽柴勢の顔ぶれとしては、羽柴秀長・黒田孝高(黒田官兵衛)・蜂須賀正勝・堀秀政・中村一氏・堀尾吉晴・神子田正治・蜂屋頼隆・加藤清正福島正則大谷吉継山内一豊増田長盛仙石秀久田中吉政などがいます。

なお、黒田官兵衛の発案とされていますが、羽柴勢は「織田信長は生きていて、膳所城で再起を図る予定だ」と言う「噂」を広めたと言う、このことからも、明智光秀に味方する武将が少なかったとも言えます。

明智勢としては、斎藤利三柴田勝定阿閉貞征溝尾茂朝(明智茂朝)・松田政近並河易家伊勢貞興諏訪盛直・御牧兼顕・津田正時・藤田行政などが終結しました。
小川祐忠、進士貞連、可児吉長、津田信春もいたとする説もあります。

こうして羽柴勢4万とも、明智勢1万6000とも言われますが、山崎を主戦場と想定して布陣しました。
両軍は6月12日頃から小泉川を挟んで対陣しました。
この頃の山崎は、淀川の流れと天王山に挟まれた狭い街道があり、沼地でも覆われていたことから、明智勢がその出口を塞いだ感じの布陣になっています。
そして、雨天になったと言われていますが、6月13日に大きな戦闘状態となりました。



兵力差もありましたが、明智勢は「もしかしたら織田信長は生きている」との偽報にも惑わされて士気が上がらなかったとも言います。
また、明智勢お得意の鉄砲が。雨で仕えなかったこともあり、戦局は悪く松田政近や伊勢貞興が討死するなどして、崩壊した明智勢は、勝竜寺城に退却しました。
勝竜寺城はそんなに大きくなく、1万もの軍勢を城内に留めることができなかったこともあり、明智勢の雑兵は脱走・離散します。
その結果、明智勢は700まで激減したと言い、その夜、明智光秀は僅かな手勢と共に勝竜寺城を密かに脱出し、明智秀満に託していた本拠地である近江・坂本城を目指しました。
しかし、その落ち延びている途中に、小栗栖の藪(明智藪)にて、土民の落ち武者狩りにあい、竹槍にて負傷し、溝尾茂朝の介錯によって自刃したと言われています。

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