女性の名前が不詳な理由
日本の歴史において、有名な女性でも名前が伝わっておらず不明なことが多い。
なぜ、女性の名前が不詳であり、わかっていないのか?をわかりやすく解説してみたい。
まず、男性も女性も同様に、名前が無かったと言う事はあり得ない。
平安時代や鎌倉時代の女性にも、当然「名前」、すなわち実名・諱(忌み名)・個人名があった。
ただし、平安時代・鎌倉時代の頃には、女の子の名前は身内(家族)だけで言っていたと言うとわかりやいすか?
人の妻となった女性を他の者が名前で呼ぶのが失礼な時代が戦国時代頃まで続いた。
その女性の夫は、妻のことを名前で呼んでいたらしい。
しかし、周囲の人間や友人などは、他人の妻である女性を名前で呼ぶのはタブー(失礼)だった。
女性が他人、特に男性に本当の名前を知られるというのは、その人に自分のすべてを支配されることを意味すると言う観念もある。
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そのため、2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」に登場する女性も、紫式部、清少納言、赤染衛門、和泉式部と言ったように、官位を受けていない女性は、本当の名前が文献に記載されていない訳だ。
大河ドラマは時代劇ドラマのため、紫式部に「まひろ」と言う名前を充てているが、もちろん脚本家さんが想像した創作上の名前となる。
ただし、北条政子のように「子」として名前が伝わっている女性がいる。
この場合、女性が官位をもらう際に名前を届けし、朝廷が公式文書に記載しなければならないのだが、その届け出た名前が伝わっていると言う事になる。
要するに、官位をもらう際に朝廷に申請した名前の為、官位をもらう用の名前とも言える。
よって、普段から北条政子が「政子」(まさこ)と呼ばれていたのかどうかは分かっていない。
政(まさ)が本当の名前だった可能性は残されているが、もはや確かめるすべはない。
同様に紫式部が生きた平安時代の高貴な女性らも、官位を受けているので、その際に朝廷に登録した名前が伝わっている。
藤原彰子、源倫子、源明子、藤原寧子、藤原詮子(東三条院)、藤原妍子、高階貴子、藤原定子、藤原穆子(ふじわらのむつこ)、藤原忯子(ふじわらのよしこ)、藤原賢子(大弐三位)などが良い例だ。
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なお、時代が進み戦国時代の頃になると、少しずつ女性の本名も文献に残るケースが少し出て来た。
豊臣秀吉の正室は北政所であるが、実名は「ねね」「おね」など諸説ある。
しかし、ねね(北政所)が従一位になった朝廷の記録では「豊臣吉子」と言う名前になっている。
このように、ねね(北政所)は、ぜんぜん違う吉子で登録しているため、北条政子も本当の名前は確かではないと言う由縁だ。
ただし、織田信長の正室・濃姫のように、実名が伝わっていない場合も多々あるのが戦国時代であるが、明智玉、浅井茶々といったわように、徐々に本当の名前がわかる時代に変わってきたのだ。
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