奈良「興福寺」のすごさが分かる歴史解説~大和国の守護・大和国守がいなかった訳

興福寺

興福寺とは

奈良・興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町にある寺院。
この記事では、世界遺産にもなっている興福寺が歴史的にどれだけすごかったのか?と言うところを主に解説させて頂ければと存じております。
よろしければご覧頂けますと幸いです。


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興福寺には前身となる寺があります。
飛鳥時代の669年、藤原氏の祖である藤原鎌足の夫人・鏡王女(かがみのおおきみ)が夫の病気平癒を願って京の山科に建てた山階寺(やましなでら)が始まりです。
興福寺縁起によると、659年に生まれた藤原不比等(ふじわらのふひと)の母は鏡王女とあります。
また、藤原鎌足は、669年10月に、山科にて狩りをしていた際に、馬から依知て背中を強打しました。
このケガの回復を願って山階寺を急ぎ建てたと思われますが、10月16日に藤原鎌足は死去しました。享年56。

その後、672年、壬申の乱の頃に山階寺は藤原京に移転して厩坂寺(うまやさかでら)と呼ばれました。
その後、710年、藤原京が平城京へ遷都する際に、藤原不比等が厩坂寺を現在のからの場所に移して「興福寺」と名付けた次第です。
そして、藤原氏の氏寺として大いに繁栄し、藤原氏だけでなく皇族からも伽藍が整備されました。
藤原不比等の死後、興福寺は国家の管轄となり造興福寺仏殿司と言う役所が置かれています。

奈良時代には四大寺(大官大寺 (大安寺) 、元興寺、薬師寺、興福寺)、平安時代にも四大寺(東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺)と歴史に幕を閉じることなく存続し、興福寺は権力を強めました。
特に平安時代には、藤原氏の氏神である春日大社も事実上支配し、興福寺が大和国にある荘園をほとんどを寺領とし、朝廷や平氏の力も及ばない事実上の大和国守とも言える立場になっていました。
大衆と呼ばれる僧侶集団は、自衛を目的として僧兵にもなっていた次第です。
そのため、平清盛と対立しました。

1180年、源平合戦の際に、平重衡(たいら の しげひら)奈良・東大寺と興福寺などを焼き討ちしています。(南都焼討ち)
そのため、朝廷も加わって復興がなされたため、現在の残っている文化財はこの鎌倉初期のものが多いようです。(運慶らが仏像を製作)

そして、鎌倉時代室町時代も興福寺は大和国で1番の権力者として君臨する強大な力を維持しました。
そのため、朝廷や足利幕府も、大和国に国守・守護を任命できずにおり、かなり幅の広い時代の歴史によく興福寺の名が登場します。
戦国時代筒井城主・筒井順慶も、興福寺に属する宗徒であり、大和の武士と呼べる者のほとんどが興福寺の宗徒でした。
その大和国に挑んだのが、三好長慶の重臣・松永久秀です。

1559年、三好長慶の命を受ける形で大和国に侵攻すると、筒井城を陥落させました。
そして、1560年、ついに興福寺を破って大和国を統一しています。
松永久秀は多聞山城を築いて東大寺・興福寺に睨みをきかせて大和支配の拠点としました。

こうして戦国時代に衰退したとは言え、江戸幕府からは寺領2万1000石を認められていますのでスゴイです。
<参考> 比叡山・延暦寺は5000石、徳川家の菩提寺・増上寺で1万石。

しかし、江戸時代の中期1717年の火災にて、中金堂、西金堂、講堂、南大門などを焼失すると、その後大きな再建は行われないままだったようです。
なお、光明皇后創建とされる五重塔(室町時代再建・国宝)、北円堂(鎌倉時代再建・国宝)、南円堂(江戸時代再建・重要文化財)は現存しています。

明治の神仏分離令の際、藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺と関係が深かった春日大社(春日社)は残りましたが、興福寺の僧侶は還俗したため、一時、無住の寺となってしまいました。
そのため、残っていた中金堂も国に没収され廃寺になりかけていますが、なんとか奈良公園の一部として土地は残され、明治15年から復興が開始されました。


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世界遺産となってからは復興も加速しており、2018年には真新しい中金堂が再建されています。

興福寺の観光所要時間は約60分程度といったところです。
薬師寺のように広いです。

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