松永久秀墓所「達磨寺」片岡春利の墓

達磨寺

奈良・達磨寺とは

奈良の達磨寺(だるまじ)は、奈良県北葛城郡王寺町にある臨済宗のお寺さんです。
創建は古く飛鳥時代の613年とされ、聖徳太子が葛城の片岡山を訪れた際に、道端にいた飢人(飢えた異人)に飲食物と衣服を与えた片岡山飢人伝説に前後します。翌日に、その飢者が死んだことを知った聖徳太子は、棺に納めて埋葬したと言います。
その後、埋葬した人はきっと真人(ひじり)にちがいないと、棺を開けたところ、屍も骨もなく、ただ棺の上に衣服だけがたたんで置いてあったと言います。
この飢人こそ、禅宗の始祖として知られるインド人の達磨大師の生まれ変わりだと言う事になり、聖徳太子が自ら刻んだ達磨像を祀ったのが達磨寺の始まりと言う事です。

達磨寺は古墳の上にありますが、寺院として整備されたのは鎌倉時代以後のようです。
戦国時代になると、信貴山城松永久秀によって焼かれましたが、その後、豊臣秀頼などによって再建され、江戸幕府からは30石の朱印地を受けました。


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本堂には、木造聖徳太子像、木造達磨坐像、木造千手観音坐像など国の重要文化財がいくつかあり、日曜日に公開されているようです。

境内には「竹」がたくさん生えているところがありますが、これは、達磨大師が持っていた竹杖を挿したところ、一夜にして芽が出てきたと言う「一夜竹」です。
毎月タケノコができるとも言われています。

一夜竹

下記の雪丸の像ですが、聖徳太子が飼っていた犬と言う事になります。
なんでも、人間の言う言葉が理解でき、お経を読むことができたワンちゃんだったそうです。
ちなみに、達磨寺さんでは、ペット永代供養の受付もしています。

雪丸

下記は、1577年10月、信貴山城の戦いにて、自刃した松永久秀の墓となります。
大和を巡ってライバルであった筒井順慶が首級を丁重に埋葬したと伝わります。

松永久秀の墓

下記は片岡春利の墓で、松永久秀の墓の左側にあります。
片岡春利は大和・片岡城主であり、筒井家の重臣で、筒井順慶の妹婿とされるようです。

片岡春利の墓

以上のように結構見どころがあるのが、達磨寺です。


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交通アクセス

達磨寺への交通アクセス・行き方ですが、電車の場合、王寺駅の南口から徒歩で約15分になります。
無料駐車場は国道168号沿いにあります。

達磨寺の見学所要時間ですが、境内だけでしたら、15分~30分といったところです。

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