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班溪寺とは
班溪寺(はんけいじ)は、埼玉県比企郡嵐山町鎌形にある、曹洞宗・了庵派の寺院です。
この鎌形(かまがた)の地は、木曾義仲が生まれた場所とされ、近くの鎌形八幡神社には、木曽義仲産湯の清水もあります。
ただ、班溪寺の裏手の薮の中(見学不能)でも、ちょろちょろと、湧き水が出ているようで、清水と言われます。
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班溪寺の境内にある梵鐘には、下記のように刻まれているそうです。
木曽義仲 長男 清水冠者源義高為 阿母威徳院殿班渓妙虎大姉 創建スル所也
創建は鎌倉時代初期の1190年11月22日とされ、山吹姫(やまぶきひめ)が建立したと言う事になります。
山吹姫(山吹御前)は、木曽義仲(源義仲)の側室で、長男・源義高を産んだとされます。
ただし、一般的に、木曾義高の母は、中原兼遠の娘とされます。
中原兼遠(なかはら の かねとお)は、木曾義仲の乳母父で、信濃・木曾の豪族です。
木曾義仲の父・源義賢(みなもと の よしかた)の本拠地は、東にある大蔵館でしたが、1155年、甥・源義平の襲撃を受けて亡くなりました。
そのため、2歳くらいだった源義仲(駒王丸)は、、畠山重能・斎藤実盛らに助けられて、木曾の中原兼遠に預けられたと言う事になります。
木曾義仲の妻として有名な巴御前(ともえごぜん)も、中原兼遠の娘であり、その巴御前の妹とされる女性が、源義高を産んだと言われています。
しかし、別説として、山吹姫(山吹御前)が源義高を産んだともある訳でして、巴御前の妹が山吹姫だとする場合もあります。
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いずれにせよ、源義高(木曽義高)は、人質として鎌倉に送られていましたが、父・木曽義仲は、源頼朝を裏切ります。
そのため、1184年、源義高は、北条政子や大姫の配慮もあり逃走します。
しかし、ここ清水の地を目指したのか、入間川の河原にて追い付かれ、堀親家の郎党・藤内光澄に討ち取られました。
山吹姫の墓(山吹御前の墓)
班溪寺の境内にある墓地に、山吹姫の墓(山吹御前の墓)があります。
場所が少しわかりにくいのですが、本堂の左手に、鎮守堂と木曽義仲公顕彰碑があります。
そこから、見える墓地の、奥のほう(薮の手前)に、下記のような山吹姫(妙虎大姉)の墓の石碑があります。
上記の細長い石碑は、新しいものです。
その石碑のすぐ脇(裏側)に、山吹姫の墓と伝わる小さな石塔があります。
下記の古い五輪塔が、山吹姫の墓のようです。
嵐山・班溪寺を訪問された場合、お時間が許せば、鎌形八幡神社、大蔵館跡、源義賢墓所、源氏三代供養塔とセットでどうぞ。
交通アクセス
班溪寺への行き方・交通アクセスですが、東武東上線・武蔵嵐山駅の西口から、イーグルバス「せせらぎバスセンター」行きで所要20分、鎌形バス停下車して、400m、徒歩6分となります。
武蔵嵐山駅から歩くと、3.6km、徒歩50分の距離になります。
駐車場ですが、班溪寺の門前の道路は、広くなっており、短時間であれば、路肩に止められます。
当方のオリジナル地図にてポイントしておりますので、ご確認頂けますと幸いです。
・木曽義仲産湯の清水 鎌形八幡神社(埼玉県嵐山町) 小枝御前と山吹御前も
・木曽義仲(源義仲)とは
・源義賢 埼玉にある源氏三代供養塔と木曽義仲の父の墓
・畠山重忠がよくわかる解説~武蔵最大勢力として忠義を貫いた武士の鑑
・1分でわかる【巴御前】解説~平安時代末期・木曽出身の女武将
・木曽義高の解説【鎌倉殿の13人】北条政子の娘・大姫の婚約者
・北条政子の解説【尼将軍と呼ばれた御台所】鎌倉殿の13人
・大姫の解説【源頼朝・北条政子の長女】
・常楽寺の大姫と木曽義高の墓
狭山・清水八幡宮~入間川で討死した木曾義高(源義高・木曽清水冠者義高)を祀る地
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