鶴嶺八幡宮~相模国茅ケ崎の総社~源頼義・義家、大庭景義~

鶴嶺八幡宮~相模国茅ケ崎の総社~源頼義・義家、大庭景義~

鶴嶺八幡宮(鶴嶺八幡社)とは?

神奈川県茅ヶ崎市浜之郷462所在の鶴嶺八幡宮を紹介します。
鶴嶺八幡宮(つるみねはちまんぐう)、またの名を鶴嶺八幡社といい、
古来より相模国茅ケ崎の八幡信仰の地として名高いです。

ご祭神:
応神天皇 ( おうじんてんのう )
大鷦鷯命 ( おおささぎのみこと )⇒仁徳天皇の別名
佐塚大神 ( さずかおおかみ )⇒大山祇神(おおやまつみのかみ)と同義とされる。
合祀:
菅原道真

祭礼:
1月1日 元旦祭(がんたんさい)
7月15日 浜降祭(はまおりさい)
9月15日 例祭(れいさい)

創建及び由緒:
康平年間(1058~1065)源頼義が東征の際、石清水八幡にならい、
本郡懐島郷矢畑村本社に一社を創立し、後に源家が現地に奉還したと伝わります。
治承年間(1177~1181)に源頼朝鎌倉由比郷に遷しましたが、
その旧社は存続し本社八幡と称したものと伝えられています。

源氏代々が篤く尊敬し、源頼朝は治承年間に懐島の地若干を寄進し、
また建久年間(1190~1199)に肥後国有為の庄七百貫を寄せ、
懐島権守平景能をして社殿の修復を命じました。

建久2年(1191年)、
大庭御厨の領主大庭景義が大仏殿や三重塔等を建て、
鶴嶺八幡宮を再興しました。
同年、西隣りに伊予の三島の神を祀る佐塚明神社が建立されます。
弘安四年(1281)には蒙古軍退散を祈り、
その後、永禄元亀年間(1558~1573)に兵火に罹り
堂宇・古記録等を焼失してしまいました。
前は本社の別当に十二坊がありましたが離散し廃坊となりました。
江戸時代に入り、
正保年間(1644~1648)別当常光院の住僧朝恵は
山岡氏と相計り社殿を再建しました。
また参道を整備し松を植えました。
慶安二年(1649)八月には徳川家光が本村の地七石の朱印地を寄進しました。
時代は明治に入り、維新の神仏分離に際し、
別当常光院が複飾して祠掌となります。
明治6年村社に、昭和9年9月6日郷社に列格します。
西側に隣接した佐塚大明神を合祀し、
明治39年に佐塚大明神の祭礼の浜降祭を主宰するようになりました。
なお、佐塚大明神の祭礼の浜降祭は、
天保12年(1841)年に幕府の昌平黌地理局の編纂した
「新編相模国風土記稿」に佐塚明神が
6月29日に浜で禊(みそぎ)を行っているという記述があります。
「浜降祭」が今の新暦の7月15日(現在は海の日)に
開催するようになったのは明治9年(1876)からで
それ以前は、それぞれ別に行われ、
寒川神社では6月30日に行っておりました。

東国紀行(天文十三年・一五四四年)室町時代より
鶴嶺八幡宮に関して以下の記述があるそうです。

相模川の舟渡し行けば大いなる神社あり、問えば八幡勧請の一とぞ。
『花の梢一木一木に神さびたり。
     をる人や砥上ヶ原の八幡山神のもるてふ花の盛りは。』

授与所開所時間:
ホームページによりますと、
開所時間は午前8時から午後3時、
外祭や出張等で授与所が閉まっている場合があるので、
祈祷や外祭の希望は事前に電話またはメールで予約下さいとあります。
御朱印は御本殿の賽銭箱付近に書置きを設置してあるので、
授与所が閉まっている場合は一社につき
(鶴嶺と淡島神社と二社分)300円を
賽銭箱に入れて一枚お取りください、とあります。
御朱印や御守等を受けられる方は
ホームページ内の日程表を確認の上ご来社下さい、とあります。

人形供養も行っているそうです。

下の写真は二の鳥居と石の太鼓橋(たいこばし)です。
太鼓橋は現在は通行不可です。

アクセス:
<バス>
JR東海道線「茅ヶ崎」駅下車
北口バスターミナル5番線バス停

行き先(系統)

茅41    (今宿経由)小谷
茅45 (鶴嶺小学校経由)小谷
茅48     古川今宿循環
茅51  (下河原経由)西一宮
茅52  (山伏塚経由)西一宮

「鶴嶺小学校」バス停より徒歩2分

徒歩:35分~45分程度
国道1号線沿いを歩きますと途中に
「第六天神社」「南湖の立場」と名所めぐりができます。
「南湖の立場」の道路を挟んで向かいに一の鳥居があるので
其の参道を歩かれますと、「弁慶塚」「二の鳥居」となります。

鶴嶺八幡宮の大イチョウ

根回り:8.5メートル
目通り:9メートル
樹高:29メートル
樹齢:1000年(推定)

看板によりますと、
このイチョウは実生または移植の際に、
多くの側枝を叢生し、勢い良いものが4.5本くっついて
成長を続け、現在の幹を形作ったものとみられています。
きわめて珍しい大木です。
以下の様な伝承があります。
源頼義が東征の際にこの風光明媚な地に
京都の石清水八幡を勧請しました。
その後の前九年の役
父・頼義を応援に奥州へ向かう途中の義家(源義家・八幡太郎)
がそこに詣で、戦勝を祈願して現在地に鎮座したとの事です。
このイチョウはその時に義家が植えたものとされています。
昭和37年10月2日に神奈川県の天然記念物に指定されました。
昭和59年「かながわのめいぼく100選」に選ばれています。

茅ケ崎淡島神社

境内社の茅ケ崎淡島神社(ちがさきあわしまじんじゃ)です。
祭神:少彦名命・淡島神

祭礼:
3月3日

神事:
針供養(2月8日・12月8日)、人形供養

鶴嶺八幡宮の末社として鎮座し、
淡島神は伊弉諾・伊弉冉の御子神で、淡島信仰として
古来から女性の守護神として崇敬篤く信仰されています。
少彦名命は大国主命と共に国土を経営し、民生を指導し、
医薬禁厭のことを司ります。
淡島神社の向かって右にはがん封じの祈願石があります。
がんを始め、難病を癒す霊石と言われ、多くの人に信仰されています。
石と悪い箇所を交互にさすり
「祓えたまえ、清めたまえ」と3回念じます。
この石の兄弟石が神明大神(茅ケ崎市円蔵2282)に祀られており、
両方をさする事により、病を癒す力が増すと言われています。
なお、神明大神はこの懐島郷発祥の地とされています。

鉾宮神社(ほこのみやじんじゃ)

境内社です。
祭神:鉾宮大神・古刀比羅命・須佐之男命
祭事:弥生祭(4月第一日曜日)

鶴嶺稲荷神社(つるみね いなりじんじゃ)

境内社の鶴嶺稲荷神社(つるみね いなりじんじゃ)です。
祭神:宇迦之御魂大神
祭事:初午祭(2月初午)

この稲荷社の向かって右側には「夫婦楠(めおとくす)」があります。
二本の楠の木が寄り添うように並んで立つ縁起の良い場所です。
社殿正面で参拝された後、夫婦楠の前にたち、
本殿に向かってくぐり、
くぐったら社殿に向かって拝礼されるとより効果的とのことです。

夫婦楠

楠の木の間をくぐります。

朝恵上人と参道 松並木

三代将軍家光より御料を賜り、参道を整備し、
松並木を植えた朝恵上人の碑です。
朝恵上人と地頭・山岡景信と相計りで荒れ果てた社殿を修復し、
またこのとき参道を整備しました。

鐘楼となぎの木

茅ケ崎厳島神社

二の鳥居と本殿前の間の湿地帯にある祠です。
鶴岡八幡宮の源平池の様な地形です。
とても素朴な祠があるだけですが、
昔のままでそれでいいかもしれません。
対岸には伊勢の神を祀った祠があります。

陸奥・衣川柵(並木屋敷) 安倍頼時と安倍貞任

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