災いは海の向こうからやってくる~疫病の歴史と日本人

疫病の歴史と日本人

科学や医学の発展と共に、人類の寿命は増えました。しかし長い歴史の中で、人類は様々な病と闘ってきたのです。

2020年1月、中国武漢市から始まった「新型コロナウイルス」は、わずか3ヶ月でパンデミックを引き起こしました。

当初は「ダイヤモンドプリンセス号」の対応で、批判を浴びていた日本ですが、その後の日本では比較的落ち着きを見せました。しかし今度は欧米で感染者が急増し、海外では完全にパニック状態に陥っているのです。

この件で、日本と海外は改めて大きく異なっていることが判明しました。もともと「生活習慣」や「宗教的概念」などの違いはありますが、今回のコロナ騒ぎで、日本人の「民度」も違いを見せつけています。

また日本では、ソフトバンクの孫正義が「PCR検査無償」を言い出してツイッターが炎上。加えて「検査・検査」と騒ぎ立てていた、真菌感染症の医者「上昌広」が繋がっていたことが判明しました。

このことで不必要に「検査」を煽る「マスコミ」や「立憲民主党」など、全ての関連性が判明したことで、中韓によるパニック煽動だったことが確定したのです。そのため日本人は益々冷静さを取り戻したと言えるでしょう。

新型コロナウイルスのみならず、日本での疫病は、大抵「渡来人」によってもたらされた災いでした。現在も中国では新たな「ハンタウイルス」による死者が出て、予断を許さない状況です。


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新たなウイルスと闘うためにも、今回は日本人の衛生感と疫病の歴史を紹介していきます。

いつの時代も疫病は渡来人が運んできた

細菌やウイルスは、虫や動物、そして人を宿主として生存しようとします。

「生命体」として細菌やウイルスを考えるならば、当然それらも種の保存をするため、より多くの生命体と交わり、強固な生命体を確立しようとすることは仕方がありません。

今回日本での「新型コロナウイルス」主要感染者達は、ジムやライブの梯子、そして海外旅行者達でした。そのため寄生された人々は、ウイルスによる指令で「アクティブ」になるのではないか?とも揶揄されています。

しかし逆に考えれば、「アクティブ」な人ほど接触や移動が多いので、感染率は自然に上がってしまうことが真相と言えるでしょう。

歴史的に見ても「疫病」によるパンデミックの原因は、大きく分けて3つあります。商人や輸出入商品の移動、または戦争による大量の人移動、そして海の向こうからやってきた渡来人の流入でした。

世界では、紀元前3千年頃の「メソポタミア文明」や「エジプト文明」で疫病の記述が残されており、日本では弥生時代の遺骨から「結核」が発見されています。

有名な感染症としては、ペスト・天然痘・麻疹・コレラ・インフルエンザですが、海に囲まれた日本はほとんど大陸から持ち込まれました。


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同様に戦国時代に出入りしていた、スペイン・ポルトガルの宣教師、そして幕末に黒船でやってきた欧米人達も「疫病」を持ち込んできます。

結局、地元を飛び出し多くの人が交流した分、新たな文明や技術がもたらされますが、未知なる病や災いも侵入してくるのです。

穢れと浄化という神道の概念

新型コロナウイルスによるパンデミックで、日本人の「衛生観念」と「風習」はとても優れていたことを改めて実感することが出来ました。

日本人が幼少期から、念仏の如く聞かされていた教訓に「手洗い・うがい」があります。

昭和生まれの中高年でさえ、冬になると「保険だより」による推奨や、親・教師による指示で励行してきたでしょう。

しかし海外では悲しいことに、「手洗い・うがい」の習慣はありません。

「日本では手洗いうがいの習慣は長くあるが、フランスでは2週間前から始まった」とは、先日海外の掲示板に投稿された言葉ですが、日本人の多くはこの発言に驚愕したほどです。

海外に行ったことのある人ならばよく知るところでしょうが、日本人は世界一の清潔好きで、衛生観念が幼稚園児にも根付いている稀有な国なのです。

その背景にはアニミズムと古代神道による、「穢れ」と「浄化」の概念があるからと言えるでしょう。

古事記による神話でも、黄泉の国から戻った「イザナギ」は穢れを落とすために川で身体を洗い、アマテラスとツクヨミ、そしてスサノオノミコトを生み出しました。

神話からも分かるように、日本人は古来より「穢れ」を嫌う民族なのです。


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元々「全ての物には神が宿る」というアニミズムの概念もあり、神様のために清浄にする習慣もあって、浄化の考えは深く根付いていたのでしょう。

その名残は多々ありますが、神社では手水、葬式後には塩、祭祀前には潔斎などの「宗教的な風習」から、掃除や土足厳禁などの「日常的な風習」も未だ残されています。

トイレのことを「ご不浄」や「御手洗」と呼び、「トイレの神様」という歌が流行してしまうことからも、日本人と外国人の思考は全く違うと言えるのです。

また宗教的観点でも、日本人と外国人はまるで違います。

一神教のキリスト教・ユダヤ教・イスラム教では神が万能であり、罰も与えることが出来るパーフェクトマン。災いは神の罰か、悪魔の所業なのです。

共産党が支配する中国では、皇帝に「徳が無い時」災いが起こるという思考が根付いているため、厄災が続くと「反乱」や「革命」で皇帝と民族は滅ぼされてしまいます。

ところが自然災害の多い日本では、「良い神」も「悪い神」もいるという概念で「万能神」だけではありません。

ここに仏教の概念が入り込むと、今度は「怨霊」や「仏罰」の思考も混ざり合います。結果、誰が見ていなくとも悪い事はしない、神や仏のため、自身の厄災を払うためにも「身も心も清浄」にという概念が根付きました。

これらの宗教的概念と生活習慣により、日本人は災いが起きた時、あまりパニックにならないのかもしれません。

天然痘撲滅に生涯を懸けた「緒方洪庵」

紀元前1100年頃「エジプト」で発症して世界中に広まり、日本でも暗躍したウイルスと言えば「天然痘」です。

かつて疱瘡(ほうそう)と呼ばれた不治の病は、仏教伝来と共に日本へ入り込み、平安時代から幕末まで多くの人々を死に追いやりました。

仏教伝来と共に疫病が蔓延したため、平安時代の人々は神罰ではないか?と恐れたのです。


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数千年掛けて人類はこのウイルスと戦い続けた結果、18世紀半ばに牛から採取した「牛痘」によるワクチンが開発されました。

1796年イギリスの医者「エドワード・ジェンナー」は、牛痘を植え付ける「種痘法」を開発してくれたおかげで、世界中に治療法が広がったのです。

日本でこの治療法を知り、私財を投げうって「種痘法」の啓蒙に取り組んだのが、蘭方医であった「緒方洪庵」でした。

2009年に放送されたTBS系ドラマ「JIN~仁」にも、武田鉄矢演ずる「緒方洪庵」が登場していたため、名前を知っている人も多いでしょう。

緒方洪庵は1810年(文化7年)に、備中国足守藩(びっちゅうのくに・あしもりはん現:岡山市)の武士、佐伯惟因(さえきこれよう)の三男として生まれました。

武士の子でありながら、洪庵は幼い頃より身体が弱く、本人も8歳の時に「天然痘」に感染したのです。

17歳頃から蘭学と医学を学び、27歳の時に長崎遊学を果たしました。その際、洪庵はオランダ人医師「ニーマン」から西洋医学をしっかりと学んだのです。

1849年(嘉永3年)緒方洪庵は、日本に「牛痘苗」を持ち込んだドイツ人医師「オットー・モーニッケ」から「痘苗」を購入し、日本で初の「牛痘種痘」を行いました。

しかし「牛から採取した痘をわざわざ植え付ける」未知なる治療法に、人々は「牛になる!」と怯え、中々治療は定着しませんでした。


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洪庵は「治療費無料」を謳い、江戸から九州までの186ヶ所で種痘を行って実績を残します。その結果、洪庵は功績を認められ、1858年(安政5年)「種痘法」は幕府に公認されました。

緒方洪庵は53歳の時、幕府の要請で「西洋医学所頭取」となり、大阪から江戸へと移り働きましたが、道半ばで翌年「結核」で亡くなります。

不治の病とされた「天然痘」から多くの人を救い、彼の弟子として福沢諭吉や大村益次郎などの優秀な人材も残した緒方洪庵。

数千年も人類を苦しめた「天然痘」は、彼らのような医者達が戦い続けてくれたおかげで、1980年(昭和55年)WHOが「天然痘根絶宣言」を出して人類が勝利を迎えました。

ペスト菌を発見した細菌学の父「北里柴三郎

2024年20年ぶりに日本のお札が刷新される予定ですが、野口英世に代わって千円札の新たな顔になるのは「北里柴三郎」です。

野口英世も「黄熱病」や「梅毒」の研究に携わった医者ですが、北里柴三郎も「ペスト菌」を発見した医者でした。

ちなみに「ペスト」とは、かつてヨーロッパの人口を1/3死滅させ、世界中を恐怖に陥れた「黒死病」のことです。

1853年(嘉永5年)、肥後国阿蘇郡(ひごのくにあそぐん:現在の熊本県)で、柴三郎は庄屋の息子として生まれます。

教育熱心な母により、8歳から伯母の家に預けられ「漢学」を学び、その後は別の場所で儒学者から国書などを学んでいました。

優秀だった柴三郎は、17歳で「熊本医学校」に入学。ここで彼の教師となった、オランダ人医師「マンスフェルト」と出逢ったことで、柴三郎は本格的に医学を学び始めたのです。

23歳の時に「東京医学校」に入学しますが、熱心だったせいか教授と仲が悪く、卒業まで8年ほどの時間を掛けています。

33歳の時ドイツへ留学し、ベルリン大学の「コッホ研究所」でドイツ人医師「ロベルト・コッホ」と共に、破傷風菌を取り出すことに成功したのです。

これによって柴三郎は「破傷風」の治療法である「血清療法」を開発し、明治天皇から国内でも深刻だった「結核」治療の研究費「1千円」も下賜されました。

しかし帰国後、熱意ある柴三郎は度々母校である「東京医学校」と揉め事を起こし、日本での居場所が無くなります。


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柴三郎の実績を生かすことが出来ないと知った「福沢諭吉」らが援助して、「伝染病研究所」が設立され、柴三郎は初代所長となることが出来ました。この研究所はのちに「国立伝染病研究所」となります。

活躍の場を与えられた北里柴三郎は、その後「ペスト菌」の発見に携わり、「ジフテリア」「狂犬病」「インフルエンザ」などの血清開発に邁進しました。

1931年(昭和6年)、北里柴三郎は79歳でこの世を去っています。数々の伝染病研究に人生を捧げた北里柴三郎は、のちに「日本細菌学の父」と呼ばれるようになりました。

台湾の土地神様となった日本人巡査「森川清治郎」

かつて日本の統治下にあった台湾。中国大陸全体もそうですが、台湾も日本人が入る前は「瘴癘の土地(しょうれいのとち)」と呼ばれるほど伝染病の多い場所でした。

1894年(明治27年)7月、日清戦争が開戦。わずか1年半ほどで日本が勝利したため、日本人の多くが大陸に移住しました。

1861年(文久元年)横浜の農家で生まれた「森川清治郎」は、のちに警察官となりますが、37歳の時に台湾へ転勤となります。

森川の任務は台湾の治安維持でしたが、彼は劣悪な台湾の状況を悲しみ、知識を与えようと動き始めました。

台湾では教育が全く行われておらず、民族も多種多様なためそれぞれで言葉も通じません。森川は業務の傍らでまず「寺子屋」を開き、台湾の人々に読み書きを教えたのです。

また度重なる洪水や干ばつなどの自然災害で劣悪な環境と、衛生概念の無さにも目を向け、私費を投じて「排水溝」も作っています。

現地の人々に尊敬され、頼りにされていた森川清治郎。ある日「台湾総督府」による漁業税が新たに設けられ、漁師達から減税を訴えられた森川は共に役所へ訴え出ました。

しかし元々森川の本職は公僕と呼ばれる「警察官」です。彼は訓戒処分を受けますが、村人達への贖罪と責任を取るために、1902年(明治35年)4月の朝「村田銃」で頭を撃ち抜き自害しました。

享年42歳。村人達は森川の死に驚き、そして嘆き悲しんだのです。

森川の死後から22年。村周辺ではコレラを始めとする様々な伝染病流行が起きました。見えぬ恐怖に村人達が翻弄される中、村長がある日「森川清治郎」の夢を見たのです。


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夢の中で森川は「環境衛生と生水などの飲食に気を付けろ」と、死してなお村人たちにアドバイスをしました。

村人たちはこのお告げ忠実に守り、伝染病の大きな被害を受けることはなかったと言われています。

人生を掛けて台湾の人々の支えになろうとした森川は、現地では「義愛公(ぎあいこう)」と呼ばれ、現在も村を守る「土地神様」として祀られているのです。

日本の慣習や習俗が命を守る

戦国時代や幕末に日本を訪れたことのある外国人達は、口々に「日本は清潔感の溢れる国だ」と書き残しています。

現在も日本を訪れたことのある外国人達が、同じことをSNSで語っているのです。

日本人は幼少期の頃から「手洗いうがい」「教室の掃除」など、衛生観念を徹底的に教育されています。

また「人に迷惑を掛けない」という思いやりの心も教えられるでしょう。その背景には、古代神道や仏教の教えと、先祖達が守ってきた風習があるのです。しかし日本は、キレイで豊富な水があったことも影響は大きいかもしれません。

東日本大震災での避難所生活でも、阪神淡路大震災の被害者達の知恵によって、感染症対策はきちんと行われていたのです。

「皿にラップ」「ウェットティッシュでの洗顔」など工夫も多いですが、この国では数日待てば生活用水は給水車で運ばれ、自衛隊がお風呂を用意してくれるほど、災害時ですら清潔を意識します。

戦後GHQ(共産主義者)による「日本人弱体計画」が行われ、日本の精神や文化、そして歴史を徹底的に破壊されました。

そのせいか、トイレットペーパーやマスクの買い占めや、自分さえよければと遊びに行く者など、現代の日本人も身勝手な行動を取る人達が増えています。

平和ボケで、自分は大丈夫と「正常性バイアス」が掛かっている人も多いでしょう。

しかしそれでも海外に比べ、個人個人が自粛し、清潔を心がけている人が多いせいか、今年は「インフルエンザ」と「肺炎による死」が例年より減っているのです。


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今回の件で、共産主義者達が煽動してきた「グローバリゼーション」は終焉するでしょう。宗教や風習の違いを互いに受け入れることが出来なければ、仲良くすることは出来ないのです。

日本人がいくら「清潔」に気を付けていても、外から入り込む者達が「衛生観念」を持たなければ、いつまでたっても「疫病」を運び続けるでしょう。

今後もマスコミの煽動に騙されず、先祖の教えとこの国の風習を守っていけば、己の身も国も守ることが出来るかもしれません。

(寄稿)大山夏輝

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