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小和田熊野神社とは?
神奈川県茅ケ崎市小和田2-3-66所在の
小和田熊野神社(こわだくまのじんじゃ)を紹介します。
ご祭神:
熊野久須毘命 ( くまのくすびのみこと )
熊野夫須美命 ( くまのふすみのみこと )
速玉男命 ( はやたまおのみこと )
家津御子命 ( けつみこのみこと )
祭礼:
1月2日 歳旦祭(さいたんさい)
<年賀祭 (ねんがさい)>
1月15日 豊漁祭(ほうりょうさい)
7月海の日 浜降祭(はまおりさい)
8月1日 例祭(れいさい)
<神幸祭 (しんこうさい)>
8月1日 例祭(れいさい)
<宵宮祭 (よいみやさい)>
8月2日 例祭(れいさい)
<例大祭 (れいたいさい)>
12月30日 大祓(おおはらえ)
元旦には甘酒がふるまわれます。
お神酒は有料です。
また、お正月の三が日の間は御朱印を受け付けるそうです。
狛犬の口が赤いのは特徴の一つです。
毎年海の日に開催される茅ケ崎市の無形民俗文化財である
「浜降祭」に参加しています。
御朱印はお正月三が日のみとなります。
創立は不明ですが、元禄元年(1688)再建の古棟札があるそうです。
諸説には「熊野信仰」が広まった平安末期とも伝わるそうです。
相洲大庭荘小和田村鎮守と記されているので、
大庭荘の管轄だったので大庭氏が活躍していた時代からあったと推測されます。
弘化4(1847)年、明治17(1884)年、大正13(1924)年に
再築の棟札及び熊野三社権現社号の古札があるそうです。
ご利益は、海上守護、魚漁、交通安全、殖産、興業、厄難除、家内安全等とされています。
なお、摂社、姥母神社は、安産の神、病気平癒の神と尊ばれてきました。
アクセス:
JR東海道線「辻堂」駅から徒歩約20分
バス便:「小和田」(国道1号線沿い、徒歩3分、山側)
(辻01)茅ヶ崎駅~辻堂駅北口⇚オススメ
(藤07)茅ヶ崎駅~藤沢駅北口
(藤08)茅ヶ崎駅~藤沢市民病院経由~藤沢駅北口
車を停めるスペースは1~2台分あるかないか位です。
徒歩かバスで参拝されることをお勧めします。
摂社・姥母神社
小和田熊野神社の境内社である姥母(うば)神社です。
拝殿から向かって右にあります。
この摂社横にはある歌碑があります。
「相模なる小和田が浦の姥島は たれをまつやら ひとりねをする」という歌です。
茅ケ崎の姥島(うばじま)周辺は岩礁で昔から絶好の漁場となっており、
江戸時代には伊豆の漁師と地元小和田の漁師との間で漁場争いが起こり、そ
の際に小和田の名主は京都の公卿近衛某が東下りの途中に詠んだ
歌があったことを思い出し、
その短冊を証拠に姥島が小和田の領地であることを主張し、
紛争に勝ったという言い伝えがあるそうです。
下の写真ですと向かって左端にあります。
ちなみに姥島とは烏帽子(えぼし)岩のことで、
茅ヶ崎海岸の沖合約1.4kmにあり、高さは約14.6mです。
祠の横の石碑は真ん中には「八雲神社」と彫られてあります。
境内社・豊受稲荷社
拝殿から向かって左側にあります。
おきつねさんがスタイリッシュで可愛いです。
御嶽大神・八海山大頭羅神王(八海山大神)・三笠山刀利天
木曽御嶽信仰の三神です。
御嶽大神は長野県と岐阜県にまたがる御嶽山の神様です。
八海山大頭羅神王(八海山大神)は越後の八海山の神様です。
三笠山刀利天は群馬県上野にある「三笠山」の神様です。
平安~鎌倉~室町時代を経て山岳信仰と民間信仰が結びつき、
江戸時代に全国に広まっていったそうです。
小和田熊野神社・辨才天・堅牢地神
農村では「地神信仰」がありました。
名称を「地神講(じしんこう)」といいます。
春分と秋分に最も近い戊(つちのえ)の日を社日(しゃにち)といい、
この日に大地を守護(しゅご)する土地の神様を祭る地神講が行われます。
春の地神講は作物の育成を祈り、秋の地神講は収穫のお礼詣りをするものです。
地神講は、床の間に堅牢地神(けんろうじしん)(地天)と
弁財天(べんざいてん)(弁天)の掛け軸をかけ、煮しめと白飯を供えてお祭りをしました。
この日は、土地を掘り起こしてはいけないとされているため、農家にとっては休日となりました。
<堅牢地神(けんろうじしん)>
仏教における天部の神の1柱で大地を司る、大地を擬人化した神様です。
通常は女神ですが密教では男神と一対とされています。
十二天の一である地天と同一視する考え方もあります。
なお、地天は元はバラモン教の女神プリティヴィーでしたが、
後に仏教に取り入れられました。
小和田熊野神社の境内社の厳島神社
神社入り口付近にあります。
池に水が張ってある時とない時があります。
また、この摂社のすぐ近くには梵鐘があり、初詣の際には鐘を撞くことができます。
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