明智光秀夫妻が身を寄せていた越前の称念寺

福井の称念寺

福井の称念寺(しょうねんじ)は、福井県坂井市にある時宗のお寺さんです。
戦国時代に、斎藤義龍から明智城を攻められた明智光秀は、妻である明智煕子(妻木範煕の娘)と共に、越前に逃れます。
この時、最初に逃れたのは、越前ではなく、於牧の方の腰元・竹川という女性の叔母を頼ったようです。

諸説ありますが、お牧の方(おまきのかた)は、明智光秀の母ともされる女性です。
若狭武田氏の出身だったようで、明智牧の女中である竹川のつてを頼ったようです。
その竹川の叔母が、若狭・小浜にある西福庵の庵主で、縁があった越前の称念寺を、明智光秀らは紹介されたと言う事になるのでしょう。
なんでも、西福庵は越前・称念寺の末寺ともされ、母の於牧の方と明智光秀は、幼い頃に西福庵に身を寄せていた時期があったそうです。



すなわち、一介の浪人のような感じで、1562年から越前・称念寺に身を寄せたようです。
門前の北国街道沿いに寺子屋を建てては、地元の子供たちに読み書きを教えて、生計を立てたと伝わります。

なお、明智光秀が越前に逃れていたことは「遊行三十一祖京畿御修行記」という史料にて確実視されるようになりました。
時宗の総本山である、相模・遊行寺の31代住職の同念上人が、東海~関西地方を遊行した際の記録が遊行三十一祖京畿御修行記になります。
同念和尚は、筒井順慶の領地を通行するのに配慮を得るため、明智光秀の坂本城に僧の六寮を派遣しました。
この六寮は、かつて称念寺の住職を務めていたことがあったようで、明智光秀は、称念寺の近くに長く住んでいた事を懐かしんで、旧情をあたためたいと、六寮を坂本城に引き留めたとの記述があります。



寺子屋を開いていた明智光秀は、もちろん、地元で朝倉家に仕える武士に知られることになります。
恐らくは、称念寺から500mほどのところにある、舟寄館主・黒坂景久(黒坂備中守景久)が知るところとなっていたのでしょう。
黒坂備中守景久に一時期、仕えた可能性もあるかと存じますが、足利義昭が1566年9月に朝倉義景を頼って一乗谷城を訪問します。
すると、細川藤孝の推挙などもあり、明智光秀は、越前に滞在する足利義昭に仕える形になったものと推測致します。
そして、一乗谷城にも通える場所に屋敷を与えられたのか移り住み、現在、その跡地には明智神社がある訳です。
その過程にて、明智光秀が連歌会を主催することになり、酒宴の費用負担に苦労したため、妻の煕子は、自分の黒髪を売って、費用を捻出したと言う伝承があることになります。
また、3女の細川ガラシャも、称念寺もしくは明智神社の場所で生まれた可能性があると言う事です。

江戸時代になり、丸岡城下を訪問した松尾芭蕉は、明智煕子の髪を売った逸話を聞き「月さびよ、明智が妻の、咄(はなし)せむ」と句を詠みました。

松尾芭蕉の句

なお、福井の称念寺ですが、歴史あるお寺さんです。
その昔、この地には「池」があり、その湖畔が長崎と言う地名だったようです。
白山信仰のためか、721年に、元正天皇の勅願を受け阿弥陀堂を創建されました。
鎌倉時代には一遍上人が「長崎道場」として開いたとされますが、兵庫川などを使った船運も寺が行っていたようです。



鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞は、南朝勢として戦いましたが、1338年、灯明寺畷の戦いにて討死しました。
新田義貞は、称念寺の住職とかねてより親交があったため、僧侶8人が新田義貞の遺骸を回収して、称念寺で手厚く葬ったともります。
そのため、称念寺には新田義貞の墓所もあります。

新田義貞の墓所

室町幕府も新田義貞の武勇をたたえ、1458年には称念寺に寺領を寄進し、足利将軍家の祈祷所となりました。
そのため、のち、越前にやってきた足利義昭にとっても、称念寺とは縁があったと言えます。

また、越前でも一向一揆が活発になると、七里三河守が称念寺に陣を置いたりもしました。

江戸時代になると、新田義貞は、徳川家康の先祖と言う事になっていたので、越前・称念寺は、江戸幕府から大切にされ、建物も30あったと言います。
1737年には新田義貞の400回忌、1787年には450回忌、1837年には500回忌と、徳川家の支援にて法要も行わ、新田義貞の菩提所とされました。

新田義貞公墓所

昭和23年の福井大地震では、建物倒壊などの被害が多数出たため、再建された本堂も、鉄筋コンクリート製になっています。

越前の称念寺

福井の称念寺への交通アクセス・行き方ですが、JR丸岡駅から歩くと約3.2km、徒歩40分といったところです。
称念寺の駐車場が無料でありますので、利用できますので、当方のオリジナル地図にてポイントしておきます。
なお、北陸新幹線の高架がちょうど寺の東側を通過するため、道路も改変されてしまっており、訪問時には、西側からのアプローチとなりました。
丸岡城とセットでどうぞ。

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