源頼朝【一杯水】(熱海の湧水・頼朝の一杯水)~標高321mの峠近くで今でも湧いている泉

頼朝の一杯水

頼朝の一杯水

一杯水(いっぱいみず)は、静岡県熱海市上多賀にある湧水で「頼朝の一杯水」と呼ばれます。

頼朝の一杯水

熱海から多賀の間の海岸線は、今でも、断崖に国道が通っているなど、海岸沿いの通行は難所です。
そのため、古来より、陸路で移動する場合、現在の「頼朝ライン」と言う山道をに近い古道にて往来したようです。
伊豆に流刑となり、伊東・北の小御所にて暮していた源頼朝(佐殿)と、伊東の領主・伊東祐親の娘である「八重姫」が、密かに通ずる仲となります。
2人は千代丸(千代御前)と言う男子をもうけましたが、1175年9月頃、3年程留守にして京から戻り、子供のことを知った伊東祐親は、千鶴丸を、稚児ヶ淵に沈めて殺害します。
また、源頼朝の命も狙おうとしました。
しかし、伊東祐親の次男・伊東祐清(いとう-すけきよ)が、源頼朝に危険を知らせます。
<注釈> 源頼朝の乳母である比企尼の3娘が、伊東祐清の妻であった。
そのため、源頼朝は、熱海の走湯権現伊豆山神社)を目指して、逃げたとされます。
曽我物語によると、伊東祐清の烏帽子親が、源頼朝であった事もあり、助けたようで、北条時政を頼るように薦めたとあります。


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伊東から熱海への行動ルートですが、小舟に乗ると、まず、網代の赤根崎にて再上陸した模様です。
そして、多賀から熱海への山越えを行いました。
結構、険しいルートですが、登り続けていると、途中で喉が渇きました。
従者に「水はないか」と聞くと「この上に5・6本の梅の木が見える、あそこまで行けばきっと水があるでしょう」と回答があったと言います。
しかし、その場所で、水が見つからず、あきらめて腰を下ろしたところ、太刀の鐺(こじり)が、土に当たって、湧き出してきたのが「一杯水」だと伝わります。
まぁ、もともと、湧き水が、登山道にあったのでしょうが、実際に現地を訪問致しますと、峠に近い高所に、湧いていますので、驚きです。
昔の主要道ですので、旅人の疲れを癒してくれた泉だったのでしょう。
頼朝一杯水苑地として整備されており、今でも、キレイな水が流れています。

その一杯水の脇には、のちに設置されたのでしょうが、千鶴丸を供養した地蔵尊が祀られています。

一杯水

頼朝の一杯水がある場所ですが、駐車スペースから、下記の看板のところを山に入って行きます。

一杯水

山道を15mほど「下って」歩いて行く感じです。
少し下って、若干左手にそれて5mほどの場所に、頼朝の一杯水がありますが、とても寂しいところです。

交通アクセス

JR東海道本線の熱海駅から、タクシーで約15分です。
約2時間歩いても行けますが、標高321mの地点ですので、結構な坂道を登りますし、道路に歩道はないので、歩いて行くのは、少し危険です。
多賀方面への路肩に、3台ほどの駐車スペースがあります。
ただ、見通しの悪い急カーブに駐車場があるため、熱海方法に走行している場合には、対向車に注意して、対向車線を渡ってください。
本当に危ないところですので、もう1度申し上げます。
注意して、対向車線を渡ってください。


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トイレなどはありません。
駐車スペースの場所は、当方のオリジナル関東地図にてポイントしてありますので、地図内にて検索してみて頂ければ幸いです。
カーナビ代わりにもお使い頂けます。

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