高尾・阿弥陀堂【亀御前】の解説~亀の前の墓(安達盛長の娘で源範頼の妻)

高尾・阿弥陀堂

北本・阿弥陀堂と亀御前

北本の高尾さくら公園近くにある阿弥陀堂には、亀御前の墓があります。
埼玉県北本市高尾にある寺院で、境内には二層の鐘楼や桜の名木があります。

高尾・阿弥陀堂

鎌倉時代の亀御前は、この付近を領していた安達盛長の娘で、源範頼の正室となりました。
夫・源範頼(みなもと-の-のりより)は、源義朝の6男です。
鎌倉幕府の初代将軍になった、源頼朝の異母弟で、源義経の異母兄と言う、列記とした源氏と事になります。


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源範頼は、1193年、曾我兄弟の仇討のあと、家人の当麻太郎が、源頼朝の寝所の下に潜り込むなどし、謀反の疑いにて、狩野宗茂・宇佐美祐茂らに預けられて、伊豆・修禅寺(信功院)に幽閉されます。
そして、梶原景時らによって誅殺されたとされ、修善寺にも立派な墓(下記)があります。

源範頼の墓

その死の知らせが届くと、亀御前は、荒川に身を投げて自害したとも伝わります。
その亀御前の供養にと、石碑と泉蔵院が建立され、現在の高尾・阿弥陀堂に至ったとされます。

亀御前の墓は下記の写真です。

亀御前の墓

亀御前の墓がある場所は、駐車場から鐘楼(山門)に入る通路の角に、下記のように案内板があるのですが、そのすぐ近くにありました。
最初、どこにあるのか?、よくわからなくて、境内におられた、地元の方にも聞いたのですが「知らない」と言う事で、見つけるのに苦労致しました。

亀御前の墓

ただ、亀御前の子供とも推測される、

なお、高尾・阿弥陀堂を取り囲むように、堀も見受けられるようでして、北本市の発掘調査から、石戸頼兼の館跡と考えられています。
確かに西側は、すぐ荒川が流れておりまして、要害の地であることが、地図を見てもわかります。
館の名称が無いので、大宮館と名付けられた模様です。(埼玉県には、大宮駅もあるので、この名前は、ややっこしいな)

亀御前の墓

また、もともと、泉蔵院の阿弥陀堂は、石戸館東光寺にあったともされ、石戸頼兼が現在時に館を構えた際に、移転させたとも考えられているようです。
石戸頼兼は、安達一族と推測されますが、鎌倉時代戦国時代なのか?、どの時代の武将なのかも、さっぱし、不明です。

なお、亀御前じたいも、源範頼の娘として名もみられます。
この説では、源範頼が、石戸郷に配流となり、石戸殿と称したとあります。
しかし、息女・亀御前が病となって、正治元年七月十二日に没し、黄葉妙秋大姉と供養され、法誉和尚を呼び西亀山無量院・東向寺を創建したと伝わります。

石戸・東向寺

ただ、正治元年と申しますと、1199年なんですよね。
源範頼が、修善寺にて幽閉となったのが、1193年でして、石戸に移り、生きていたとする説ですと、1200年に亡くなったと地元の伝承にあるようです。
となると、亀御前は、源範頼の娘ではなく「妻」であるべきところを、伝承間違いとなっていた可能性もあるでしょう。
しかし、妻だったとして、亀御前の没年が1199年だとすると、源範頼が死去したとされる1193年以降も、亀御前は生きていたとも考えられます。
こうなると、本当に、源範頼は生きていて、出家でもして、石戸で謹慎していたのかな?とも感じてしまいます。
もちろん、亀御前と言う女性が、この石戸に2人いて、別人だったと言う可能性も、無きにしも非ずですが・・。


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源範頼の子である源範圓・源昭は、比企尼の嘆願にて助命されました。
<注釈> 比企尼の娘・丹後内侍は、安達盛長の妻であった。
そして、母方の所領を継ぎ、その子孫が吉見氏となっています。
となると、子の源範圓あたりや、安達盛長が、一時的に、亀御前を保護するなどしていた可能性もあるでしょう。

鎌倉時代には、良橋太郎入道の娘で、源頼朝の愛妾になった「亀の前」と言う女性もいますので、亀御前と混同しないよう、注意が必要です。

交通アクセス

高尾・阿弥陀堂への行き方ですが、最寄りの駅は、JR高崎線の北本駅になります。
西口から道路をずっとまっすぐ歩いた行き止まりが、高尾・阿弥陀堂なのですが、距離は2.6km、徒歩約40分といったところです。
執筆時点では、北本市でのレンタサイクルもありません。
バスも近くは通っていないので、タクシーがお勧めです。
クルマの場合、約15台ほどの駐車場がありました。
当方のオリジナル地図関東で、駐車場をポイントしておきます。

お車の場合、石戸館や、少し遠いですが、安達盛長館跡源範頼館もセットでどうぞ。

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城めぐりにも便利なオリジナル関東地図

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