おつまき 明智光秀とは姉妹の女性「御つまき」御ツマキ

おつまき

おつまき(お妻木)は、戦国時代の女性で、諸説ありますが、明智光秀の姉、または明智光秀の義理の妹と推定されています。

明智一族に「妻木氏」(つまき-し)がおり、明智光秀の継室は妻木煕子です。
妻木煕子は、明智光秀に嫁いで明智煕子となった訳ですが、明智光秀の義理の妹とする説は、この妻木煕子の姉妹と考えられています。

この「おつまき」は、戒和上昔今禄の記述で、1577年11月に、興福寺・一乗院の御乳人「惟任妹御ツマ木」が、明智光秀と一緒に東大寺との間の諍いの調停を織田家に働き掛けた

惟任(これとう)と言うのは、惟任氏と言う意味で、朝廷(天皇)から、明智家がもらった姓名となります。
そのため、明智光秀じたい、惟任日向守、明智惟任日向守、明智惟任日向守光秀と記載されることがあります。
これは、明智光秀が出した書状には、よく「惟任日向守」と自分の名前を明記しているためでして、時代劇などでも、よく「惟任日向守」と明智光秀は呼ばれたりしています。
よって、この「惟任妹御ツマ木」と言うのは、明智光秀の妹・御ツマキと言う事が言えます。
なお、御乳人(おちのひと)と言うのは、すなわち、乳母(うば)ですので、この「御ツマキ」は、誰かに嫁いでいて、乳幼児を産んでいた可能性も高いでしょう。



ちなみに、惟任康秀と言う武将が1528年に生まれています。
家柄は、明智氏の一族・惟任光頼の孫で、惟任頼秀の長男とれさます。
惟任頼秀の母は、家臣(一族?)である進士信周の娘(山岸晴舎の娘)とされています。
その異母弟が、明智光秀とする場合もあります。
となると、明智光秀が「惟任」と呼ばれるのも納得できます。

興福寺の一乗院(いちじょういん)は、興福寺にあった塔頭のひとつです。
室町幕府最後の将軍・足利義昭は、還俗前に「覚慶」と言う僧侶でしたが、興福寺の一乗院門跡・門主となっていました。
そのため、この興福寺・一乗院と、東大寺との間に「問題」が発生したのが、いつのことか不明ですが、明智光秀と妹・御ツマキが仲介して、織田信長に最低したのは、足利義昭のためだった可能性も出てきます。
ちなみに、足利義輝が暗殺された、1565年に、一乗院の覚慶(足利義昭)が、2ヶ月ほど、松永久秀によって興福寺に幽閉されています。

ただし、第33代の一乗院門跡である覚慶(足利義昭)のあとに、一乗院門跡に就任したのは、近衛前久の子・尊勢ですが、1589年とされますので、上記の戒和上昔今禄の記述にあった1577年当時に、興福寺・一乗院に当たる人物は、足利義昭とも推定できます。
となると、足利義昭の子供の乳母が「惟任妹御ツマ木」と考えられますので、その子供と言うのは、一色義喬(いっしき-よしたか)あたり?かもしれません。



次には、言経卿記にて、織田信長が京に上洛した際に、1580年5月、山科言経が進物を献上すると、その近所女房衆である「ツマキ」らにも帯を献上したとあります。
ここで、ツマキと言う女性は、織田信長の女房衆であるとなっています。
この「女房衆」と言うのは、妻、もしくは妻に近い女性のことを差していると推測されますので「おつまき」は、織田信長の側室・妾などと同じくらいの地位だった可能性も捨てきれません。

その後、吉田兼見の兼見卿記では「惟任姉妻木」に、酒と食べ物を渡したとあります。
時期は1580年9月でして、丹波攻めが終った翌年と言う事になります。
なお、吉田兼見は、4月の日記で、妻木の事を「妻木惟向州」、ちなわち、明智光秀の妹と記載していることから、一般的に「姉」は誤記であると考えられています。
ここで、御ツマキの漢字は「お妻木」であるとわかります。
となると、明智一族である妻木氏の娘とも推定できるでしょう。



最後に「御妻木」の名が見受けられるのは、1581年8月となります。
多聞院日記(奈良・興福寺の塔頭多聞院)によると「去七日・八日ノ比歟、惟任ノ妹ノ御ツマキ死了、信長一段ノキヨシ也、向州無比類力落也」とあります。
御ツマキは亡くなった訳ですが「信長一段ノキヨシ」と言う事で、織田信長は、一段と「キヨシ」していた女性と言う事で、気好し(一段と気に入っていた)とも推定されます。
なお、向州(こうしゅう)と言うのは「日向国」の事ですので、日向守だった明智光秀は、かなり気を落としたと言う事でしょう。

このように、明智光秀と織田信長は「御ツマキ」によって、間を取り持っていたとも考えられ、2人の間柄を調整するような、重要な役割を担っていたとも推測されます。

いずれにせよ「おつまき」と言う女性に関して、よくわかっていませんが、2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」でも、重要な役として登場するのではないかと期待しています。

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