土佐坊昌俊とは 源義経を暗殺しようとした僧侶で武将

土佐坊昌俊

土佐坊昌俊(とさのぼう-しょうしゅん)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で武将でもあります。
奈良の興福寺・金剛堂の堂衆であったともされ、土肥実平に連れられて鎌倉に入ると源頼朝に仕えました。

1184年、平氏追討のための出陣していた源範頼の軍勢に土佐坊昌俊の名が見受けられます。

1185年正月には、源範頼らと周防から豊後へ転戦するなどし、鎌倉幕府の武将として活躍していました。



源義経が兄・源頼朝と対立すると、土佐坊昌俊は、すすんで義経追討を引き受けて上洛します。
弟・三上弥六家季、錦織三郎、水尾谷十郎ら83騎は、熊野参詣と称して鎌倉を出発し、京の源義経の館である六条室町亭を襲撃しました(堀川夜討)。
しかし、源義経らは事前に察知していたようで失敗し、佐藤忠信・源行家らの反撃を受けます。
土佐坊昌俊らは鞍馬山に逃げ込みましたが約9日後に捕らえられ、六条河原にて梟首されました。

源義経は、源頼朝追討の宣旨を後白河法皇から受け取り、直ちに挙兵の準備を開始しています。
しかし、追討の兵は思うように集まらず、逆に源義経追討の院宣が出て、西国、吉野、そして最後は奥州平泉へと落ち延びました。



トップの写真は、鎌倉にある土佐坊昌俊邸址碑です。
土佐坊昌俊邸址碑のある場所は、当方のオリジナル地図でもわかるようにポイントしてあります。

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