久能山東照宮とは
久能山東照宮(くのうさん-とうしょうぐう)は、静岡市駿河区根古屋にある神社で、江戸時代の1616年に、徳川家康が死去すると、遺命により埋葬された、徳川家康の墓でもありのす。
久能山城跡を改良して造営されたと考えられています。
上記の久能山東照宮一の門は、古くは久能山の総門だったそうです。
海側の参道から階段を1100段以上登って来るとあります。
上記は、一の門を入ったところにある「門衛所」です。
江戸時代に久能山の門を守る与力が詰めていた番所で、ここで登拝者を検問しました。
ここは海側の展望も素晴らしいです。
番所を抜けていくと、曲輪があり「勘介井戸」があります。
山本勘介が掘ったといわれる、深さ33mの石垣積み井戸ですが、武田信玄が久能山城の築城をする8年前に、既に山本勘助は討死したとされていますので、どうして勘助井戸と言う名になったのか?疑問点は残ります。
上記は楼門(ろうもん)です。
写真撮影するには、人が少ない開門時間に行くのが一番です。
上記は唐門の手前から撮影した風景です。
なかなか幻想的な雰囲気になって参りました。
パワースポットもありましたよ。
国宝の社殿(本殿・石ノ間・拝殿)です。
さすが、日光東照宮同様に彫刻も素晴らしく、色彩も豊かですね。
最近、修復したそうでして、とてもキレイです。
廟門から御神廟までの参道です。
左右には徳川家康公に仕えた武将らが奉納した石灯籠があります。
上記は、徳川家康公の遺骸が埋葬された廟です。
最初、埋葬されたときは小さな祠だけだったそうです。
徳川家光公が、高さ5.5m、まわり8mの石塔が建て、家康公の遺命に従い、西を向いています。
片隅には、徳川家康の愛馬の墓がありました。
武将の愛馬の墓まで一緒にあるのは、大変珍しいですね。
久能山への行き方やその他の写真などは下記のページにて別途詳しくご紹介させて頂いておりますので、あわせてご高覧賜りますと幸いです。
・久能山城 (久能城)とは 武田家が大改修した駿河の城
・久能山東照寺の訪問記・駐車場情報など
・徳川家康はなぜ天下を取れたのか?
・松平康俊と於大の方【徳川家康の母】の運命
・徳川家光とは~3分でわかる280年続いた徳川幕府のの基本政策
・於大の墓・千姫の墓・お夏の方の墓・鷹司孝子の墓などがあるスゴイ傳通院(小石川伝通院)
・徳川家康の気になる妻(正室・側室)22名の一覧リスト【どうする家康】側室の特徴は?
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