蛭ヶ小島 源頼朝配流の地

蛭ケ小島

蛭ヶ小島(ひるがこじま)は、静岡県伊豆の国市四日町字蛭島にある館跡で、源頼朝の流刑地との伝承がある地です。
別名は蛭ケ島とも言います。
平安時代末の1160年、平治の乱にて、源義朝が敗れると、嫡子であった源頼朝は東国に逃れる途中、近江で捕まり京の六波羅に送られました。
平清盛は源頼朝の命を奪わず、伊豆へ流刑と決めます。
そして、源頼朝は伊豆・北条氏館主である北条時政と、伊東祐親の監視下におられたと言う事になりますが、配流地として知られるのが蛭ヶ小島と言う事になります。



当時の流刑は、狭い牢獄にずっと入っているようなことは無く、屋敷を与えられて、そこで謹慎生活を送るような感じです。
実際には、近辺への散策なども自由であり、時には、馬であちこち出かけたり、鷹狩をしたこともあったようで、源頼朝は14歳頃~34歳頃まで約20年伊豆で過ごしました。
箱根・伊豆山を参詣したり、三島の三社詣、天城山での巻狩りなども行ったようですが、詳しい伊豆での生活ぶりは伝わっておらず、最初から蛭ヶ小島にいたのかも不明です。

蛭ヶ小島

蛭ヶ小島は、狩野川の湿地帯に囲まれて、島のような地形(微高地)になっていたものと推測されます。
周辺には、家来の安達盛長・河越重頼・伊東祐清らが屋敷を構えて、側近として仕えました。
また、伊東祐親の娘・八重姫との恋もありましたが、北条時政の長女・北条政子と結婚し、長女・大姫をもうけています。
そして、1180年、挙兵するのでした。

源頼朝と北条政子の銅像

しかし、実際に、蛭ヶ小島があったとされる場所は、諸説あり、この蛭ヶ小島の場所が正しいとは言い切れないのが現状でして、推定地と言う事になります。
恐らくは、狩野川の氾濫・洪水にて、埋もれてしまったりなど、地形が変わってしまったものと推測致します。
ただし、雲が無ければ、ハッキリと富士山も望め、ほんと住みたくなるような場所です。



現在、蛭ヶ小島は史跡公園として整備されており、大き目の無料駐車場と、休憩所・トイレなどが完備されています。
見学所要時間は10分ほどあれば充分です。

蛭ヶ小島への交通アクセス・行き方ですが、伊豆箱根鉄道の韮山駅にて下車し、徒歩約15分の距離になります。
クルマの場合、公園の裏側に無料駐車場がありますので、入口付近を当方のオリジナル地図にてポイントしておきます。

韮山城などとセットでどうぞ。

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