可成寺(かじょう-じ)は、岐阜県可児市兼山にある臨済宗の寺院です。
開基したのは織田信長の重臣である森長可(もり-ながよし)になります。
森長可は、美濃・金山城主である森可成(もり-よしなり)の次男です。
父・森可成は、1570年、宇佐山城の戦いにて、嫡男・森可隆と共に討死したため、次男の森長可が家督を継ぎました。
その父と兄の菩提を弔うため、1571年に創建したのが、美濃・兼山城(金山城)の城下にある可成寺となります。
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森家は、討死が目立つ家系でもあります。
1582年、明智光秀による本能寺の変では、森可成の3男である森蘭丸、4男・森坊丸、5男・森力丸の3名が、織田信長の小姓として仕えていたため、本能寺にて討死しています。
森長可は、武田勝頼を攻めた際の戦功により、信濃・海津城主となっていましたが、なんとか本領の美濃・金山城に帰還を果たしています。
しかし、1584年の小牧・長久手の戦いでは、井伊直政や水野勝成と戦い、鉄砲隊に撃たれて、森長可も討死しました。
その後、森可成の6男・森忠政があとを継ぎましたが、その後、討死せずにうまく乗り切っています。
1600年、関ヶ原の戦いでは、徳川家康に味方して、1603年にには、美作・津山城で18万6500石となり、美作一国を与えられています。
現在のた可成寺には、森成利、森長隆、森長氏と3兄弟の墓も移されて森一族の墓所が、境内の山側にあります。
森家の墓所ですが、現在、可成寺の裏山ががけ崩れ対策の工事で、新しくRC溝のコンクリート塀が広がっています。
ただ、境内から山に入れる「隙間」(桝形)のような箇所があり、そこから山側に入れます。
上記のところを入って、左手に少し進むと、森氏の墓所がある場所になります。
下記の左から、森長可の墓、真ん中が森可成の墓、右側には小さいな墓石が2つあり、森長行の墓と森可隆の墓です。
そして、下記が左から森坊丸の墓、森蘭丸の墓、森力丸の墓となります。
丁重にお参りさせて頂きました。
可成寺への交通アクセス・行き方ですが、名鉄広見線の明智駅からタクシー15分となります。
無料駐車場は、可成寺の道路反対側などに約20台と豊富です。
このあとは、浄音寺にある斎藤正義の墓を訪問させて頂きました。
・森長可~武勇から「鬼武蔵」と称され槍術が得意だった武将
・美濃・金山城(兼山城) (続日本100名城) 斎藤正義も
・森長可 武勇から「鬼武蔵」と称され槍術が得意だった武将
・森蘭丸(森乱丸)~将来を嘱望された織田信長の小姓
・森坊丸とは~森長隆も本能寺の変にて
・森可成~攻めの三左と呼ばれた槍の名手
・「尾張・美濃」にある戦国史跡跡オリジナル地図(Googleマップ)
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