南湖の立場~旧東海道~左側から富士山を眺める。

南湖の立場~旧東海道~左側から富士山を眺める。

南湖の立場とは?~町場化へ発展していった場所と時代~

「立場(たてば)」とは、宿場と宿場の間にあって、
旅人や人足、駕籠かきなどが休息する場所のことです。
もともと杖を立ててひと休みしたのでその名が生じたといわれています。
そしてこの「立場」には
「立場茶屋」といって、土地の名物を用意した茶屋なども存在しました。
なかでも茅ヶ崎の南湖(なんご)の立場は
江戸から京に向かうと東海道の左側に富士山が見えるところから、
「南湖の左富士」と称せられた名所で、
二階建ての茶屋が建て並び、茶屋町と呼ばれるような大きな立場でした。
現在でも「茶屋町」という地名が残っています。

この日は雨が続いた後の晴れの日に訪れました。
朝10時台に現地に到着し撮影しましたが、
やはり霞がでていました。
空中に浮かんでいるように見えて
ちょっと神秘的かもしれません。
綺麗に富士山が撮影できるのは
1月頃の晴れた日に限るのかもしれません。
なお、下の川は「千の川(せんのかわ)(古名:ちのかわ)」です。
相模川水系とされています。
茅ケ崎市の甘沼・菱沼辺りを源流として、
現在は地下を流れて、その後小川として地上に出て
北茅ケ崎駅手前で急に川幅が大きくなり、
小出川と合流して相模川にそそぎます。

なお、「左富士」は東海道にはもう一カ所あります。
静岡県富士市にある「吉原左富士」です。

日本橋からの距離は60キロメートル

南湖の立場の碑がある付近の国道一号線には
下記の標識がありました。

鶴嶺八幡宮の一の鳥居

南湖の立場の向かい側には、
相模国茅ヶ崎の総社として往古より八幡信仰の本地とされている
鶴嶺八幡宮の一の鳥居が建っています。
鶴嶺八幡宮の創建は長元3年(1030年)で、
京都にある石清水八幡宮を懐島八幡宮として勧請した
宇佐神宮を勧請したとも)のが始まりだそうですが、
参道が整備されたのは江戸時代に入ってからで、
正保(しょうほう)年間(1645~1648)の間とされます。
丁度三代将軍の家光の頃で、街道整備がなされていった時代ですね。

茶屋があったとされる付近(諸説あり)

「南湖の立場」は当時の観光スポットであったかもしれません。
南湖の立場の茶屋は一説によりますと、
元禄(1688年~)から享保(1716~)の間に栄えたそうです。

立場が設置されるに伴い、茶屋の数があまりにも増えたため、
幕府は延宝8年(1680)に従来の茶屋営業以外の新規の茶屋営業を
禁止し、茶立女(お茶を給仕する女性)を一軒につき2人に制限しました。
また営業時刻も明け六つ(午前6時)から
暮れ六つ(午後6時)までにしたそうです。
けれどもあまり成果が上がらなかったとか・・・。
南湖の立場の茶屋の栄えた時期はこの後だったようなので、
立場茶屋のシステムが確立された後だったのでしょう。
そして、この南湖の立場茶屋が栄えた時期は、
この地域の町場化となった時期と重なるそうです。
この茶屋町郵便局は、
「南湖の立場」の碑がある「鳥井戸橋(とりいどはし)」から
茅ヶ崎駅方面(東)に徒歩5~7分程です。

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