Contents (目次)
寒川神社について
神奈川県高座郡寒川町宮山3916所在の寒川神社について説明します。
最寄り駅:JR相模線「宮山」駅から徒歩5~6分。
駐車場:第1~第3駐車場まであります。
車の場合:
圏央道⇒「寒川北」インターを出て右折し中里交差点より2~3分。
小田原厚木道路⇒
①「伊勢原」インターを出て寒川方面に向かう。
②相模川にかかる「神川」橋を渡り大門踏切前交差点を左折。
③相模線の踏切を渡り鳥居をくぐると2~3分で到着。
「八方除」
長らく茅ケ崎市に住んでいた地元民としては寒川神社=八方除です。
毎年、初詣は大賑わいですがその際には必ず「八方除」のお札を受けます。
元地元民から言わせてもらえば、
初詣期間中はかなりの激混みなのであえて避けて、
1月中のどこかで詣でていました。
さて、その「八方除」ですが、神社の公式サイトによりますと、
八方除とは、地相・家相・方位・日柄などに起因する
すべての禍事・災難を取り除き家業繁栄・福徳円満をもたらすもの、とあります。
大難は小難に、小難は無難に、そして吉事は最大に、とあります。
八方とはあらゆる方角を意味しており、
身に降りかかるすべての厄災から身を守るといえます。
創建1600年の歴史の中で、
文献によりますと源頼朝、武田信玄、
徳川家代々から篤い信仰を受けてきた記録が残っています。
神社には様々な御守りやお札がありますが、
お時間があればぜひご祈祷をお受けになってはいかがでしょうか。
受付は午前8時から午後5時までで、お正月期間は特別体制となります。
電話:0467-75-0004
そして、寒川神社にてご祈祷を受けられますと
普段は決して入ることのできない
寒川神社御本殿の奥に位置する「神嶽山(かんたけやま)」へ立ち寄ることが出来るのです。
この地は、寒川神社の起源に深く関わりがあると伝えられる「難波の小池」を中心とした神苑です。
「難波の小池」からは泉が湧いており、画像は公式サイトでも拝見できます。
その画像を見るだけでも素晴らしいのですが、
是非訪れる事をお勧めいたします。
「神嶽山(かんたけやま)」は、池泉回遊式の日本庭園が広がり、
茶屋や資料館も併設しているそうです。
但し、期間が設定されています。
開苑期間:3月上旬~12月上旬まで
毎週月曜日は休苑
(祝祭日は開苑します。)
開苑時間:午前9時~午後4時
寒川神社のさざれ石
境内にあるさざれ石です。
さざれ石(細石、さざれいし)とは、もともとは小さな石であることを意味します。
学術的になりますと、
長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や
水酸化鉄が埋めることによって、
1つの大きな岩の塊に変化した「石灰質角礫岩」を指します。
この性質から、
日本の国歌である「君が代」の歌詞にある巌(いわお)であるとして、
非常に長い歳月を表す比喩表現として用いられているとされています。
寒川神社のご由緒
ご祭神:
寒川比古命(さむかわひこのみこと)
寒川比女命(さむかわひめのみこと)
のニ柱の神を祀り、寒川大明神としています。
寒川大明神は相模國を中心に広く関東地方を開拓し、
衣食住など人間生活の根源を開発指導し、
関東地方文化の生みの親神様として敬仰されてきたそうです。
創建年代は定かではありませんが、
雄略天皇(456~479)の代に奉幣、
また神亀4年(727)社殿建立と伝える記録があり、
少なくとも約1600年の歴史があります。
「延喜式」神名帳(927年編纂)によれば、
相模國13社のうち、唯一の名神大社とされています。
この地一帯は縄文時代から人々の生活の営みがあり、
弥生時代に入ると大きな集落へと発展していました。
この地の上流に位置する縄文時代の遺跡「勝坂遺跡」からは、
泉が湧き、大切な場所としてされてきました。
その場所は、地元でひっそりと祀られている「有鹿神社」の奥宮であり、
寒川神社の神聖な場所も「泉」であることから、
もしかしたら、縄文の太古から生活の要として、
大切にされてきた場所なのかもしれません。
そこへ、新たなる開拓者が入り、発展を遂げ、融合していった・・・・
それは中央政権が入る前の出来事なので、
今では伺い知ることが出来ませんが、
太古から、古代そして戦国武将、徳川の代々の将軍も崇めたこの神社には、
自然の力は勿論ですが、
この地に根をおろし、開拓をして、営みを続けた先人たちの
思いや魂も今なお強く存在し、
現代の私たちを見守り続けているのだと感じるのです。
コメント