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鎌倉・和田塚とは
和田塚(わだつか)は、神奈川県鎌倉市由比ガ浜2丁目にある、古墳跡、墓所の史跡となります。
もともと、鎌倉で唯一の高塚式古墳があったようですが、その盛り土されたところに、和田合戦で命を落とした武者が、埋葬されたようです。
1189年(明治22年)、道路拡張工事にて、采女塚と呼ばれた部分が壊されました。
そのあと明治25年、無常堂塚の一部を掘ったところ、たくさんの人骨が出ました。
中には、刀を握ったままの手の骨もあったと言います。
そのため、鎌倉時代の和田合戦で、戦死者を葬った場所の可能性が高くなり「和田塚」と呼ばれるようになりました。
和田一族戦没地の石碑もあります。
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この和田合戦は、1213年に鎌倉で発生した、御家人同士の権力争いです。
三浦一族の和田義盛は、侍所・別当(軍事統率の最高責任者)でしたが、鎌倉幕府の2代執権として更に権力を握りたい北条義時に狙われました。
1213年2月、泉親衡(いずみ ちかひら)は、源頼家の遺児・千寿丸を鎌倉殿に擁立し、執権・北条義時を打倒しようと考えましたが、事前に発覚しました。(泉親衡の乱)
この企てに加担したとして、和田義盛の甥・和田 胤長(わだ たねなが)が、ひとりだけ処罰され、陸奥国岩瀬郡に配流となります。
没収された鎌倉の屋敷は、一族に預けられるのが通例でしたが、その屋敷は、北条氏の被官・金窪行親に与えられています。
そのため、侍所・別当として、面目を失った和田義盛も北条義時打倒の計画を練り、三浦一族だけでなく、横山党・波多野氏など、親戚の同意も得て、鎌倉で挙兵しました。
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和田義盛の父は、三浦氏の嫡流でしたが、父の弟の系統が三浦氏の当主になっていました。
そのため、三浦一族じたい、一枚岩ではなく、和田勢が大倉御所を攻撃開始すると、和田氏と行動を共にしていた三浦義村が、土壇場で寝返ります。
また、北条側の大江広元は、将軍・源実朝を、北条氏側につけることに成功し、様子を見ていた、御家人らも、次々に北条義時の味方となりました。
そのため、和田勢は由比ガ浜まで退却して和田義盛も自刃。
和田一族に味方した横山党なども、壊滅したと言う事になります。
和田勢だけでも約230名の名のある武将が、命を落としています。
だいぶ、省略してご説明申し上げましたが、詳しくは、別の「和田合戦」にてご紹介申し上げております。
和田塚がある区画には、和田一族の墓以外に「戦没者慰霊塔」「大震災殉死者供養碑」「南無妙法漣蓮華経」とある大小の石碑もあります。
そのため、周辺で、行き場を失った五輪塔・仏像・馬頭観音なども、一緒になっているようですが、由比ガ浜青年会さんが日頃より手入れをなさっているようです。
ただ、正直に申し上げれば、和田義盛の無念を思うと、気軽な気持ちでは、踏み入ることができないと感じる場所だと感じました。
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和田塚がある場所ですが、江ノ電の和田塚駅から、徒歩1分ほど。
駐車場はありません。
近くにコインパーキングもないので、遠いところの有料Pにクルマを止めて、少し歩いて向かいました。
和田合戦の時の年齢は下記の通り。
北条義時 46歳
北条政子 52歳
源実朝 20歳
西八条禅尼(坊門信清の娘)20歳 ※源実朝の正室
北条泰時 30歳
矢部禅尼 26歳
北条朝時 20歳
北条時房 38歳
三浦義村 45歳
和田義盛 66歳
朝比奈義秀 37歳
和田胤長 30歳
八田知家 71歳
大江広元 65歳
後鳥羽上皇 32歳
鎌倉では津波に注意
なお、鎌倉の中心部や海岸部では、津波に注意が必要です。
1498年の明応津波では、鎌倉の大仏殿も、流されたする説もあります。
和田塚の辺りは、鎌倉では少し標高が高く、標高9mくらいあります。
和田塚駅の標高は、更に高い10mですので、由比ガ浜あたりで、強い地震を感じたら、和田塚駅方面へ、すぐに逃げると良さそうです。
過去の大地震の鎌倉では、早いと、地震発生から8分で、第1波が到達しています。
10m以上の大津波が予測される場合には、御成中学校(標高30m)を目指してください。
津波は何回も押し寄せ、あとのほうが大きい場合がありますので、津波警報が解除されるまで、高台からは降りないようにしましょう。
<参考> 鎌倉駅は標高6m、元鶴岡八幡宮約4m、
・5分でわかる「和田義盛」の要点解説
・和田合戦~経緯と戦闘詳細【和田義盛の乱】
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