桑山一晴とは
桑山一晴(くわやま-かずはる)は、桑山一重の子として1575年(諸説あり)に生まれた尾張の戦国武将です。
生まれた頃、祖父・桑山重晴は羽柴秀吉の家臣になっており、1580年には但馬・竹田城にて1万石と出世しています。
しかし、1582年、父・桑山一重が、竹田城にて26歳の若さで死去しました。
その後、1585年から、桑山家は3万石にて和歌山城に入り、水軍も率いるようになっています。
1596年、祖父・桑山重晴が隠居した際に、桑山一晴は家督を継ぎましたが、先の朝鮮攻めでは負傷したともあります。
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1600年、関ヶ原の戦いでは和歌山城にいました。
最初、紀伊の国人らと石田三成に協力しますが、のち、祖父・桑山重晴と共に徳川家康に寝返り、命を受けてると新宮城の堀内氏善を攻めました。
この功績が認められて、所領を安堵されています。
1601年、大和葛下郡布施の大和・新庄城に移封となり、新庄藩が成立しています。
その後、祖父・桑山重晴が4000石で、桑山一晴は1万6000石となっています。
1604年、桑山一晴は伏見で死去した。享年30。
家督は、弟の桑山一直が継いでいます。
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