桑山重晴

桑山重晴

桑山重晴(くわやま-しげはる)は、戦国時代の武将です。
1524年、尾張国の国人である桑山以則の子として生まれました。
妻は齋藤吉兵衛の娘です。
桑山家は、織田信長の重臣・丹羽長秀の与力となり、姉川の戦いなど活躍していたようです。
そのころ、織田家で頭角を現してきた羽柴秀吉は、桑山重晴の冷静沈着な戦いぶりを賞賛しており、1574年、羽柴秀吉の直臣となりました。
そして、中国攻めなどで戦功を挙げると、1580年、1万石の大名となって但馬・竹田城に入っています。
桑山重晴は57歳にして城持ちとなりましたので、遅咲きと言って良いでしょう。
本能寺の変のあと、1583年、賤ケ岳の戦いでは佐久間盛政と激しく戦いながらも賤ヶ岳砦を守り抜いたため、加増を受けて2万石となっています。

1585年、紀州征伐の根来攻めにて活躍し、豊臣秀長が紀伊国も任されると、1585年5月、桑山重晴は大坂城に呼び出されて、豊臣秀長の家老職を命じられます。
そして、3万石で改築中の和歌山城主となりました。



1595年7月8日、豊臣秀次が謀反の疑いを掛けられて、釈明するために豊臣秀吉がいる伏見城を訪問した際には、桑山重晴が伏見城大手門の警護を行っています。
そのあと、和泉国日根郡谷川の1万石を加増されて合計4万石になりました。

千利休から茶を学んだ茶人としても有名で、1596年、出家して桑山治部卿法印を号しています。
長男・桑山一重のが死去したことから、1596年5月11日には、修理大夫の官位と2万石を嫡孫・桑山一晴に譲り、次男・桑山元晴には1万石、桑山重晴本人は大和国御所(ごせ)に1万石と分与しました。
隠居したあとも、大坂城下にて豊臣秀吉の御伽衆として仕えています。

1600年、関ヶ原の戦いでは、紀伊の多くの国人が石田三成に味方したのに対して、桑山重晴は徳川家康に協力して和歌山城を守り、桑山元晴も大谷吉継の鉄砲組頭を討ち取る功績を挙げています。
2000石の加増を受け、日根郡谷川村(大阪府泉南郡岬町多奈川谷川)に谷川藩が立藩となりました。
家督を継承していた桑山一晴は1万6000石となって、大和・新庄城に陣屋を築いています。

慶長11年(1606年)10月1日、桑山重晴は死去、享年83。

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