蜷川親当とは アニメ一休さんに登場する「蜷川新右エ門」のモデル

蜷川親当

蜷川親当(にながわ-ちかまさ)は室町時代中期の武将で、室町幕府の政所執事である伊勢貞孝・伊勢貞良の被官でした。
父は政所代・蜷川親俊で、その次男となります。
蜷川氏の本家は越中・蜷川庄の蜷川館となります。
蜷川親当は父と共に、伊勢氏のもと幕府の仕事をしました。
蜷川親当の通称は「新右衛門」であり、蜷川新右衛門(にながわ-しんうえもん)とも言います。



蜷川新右衛門親当は、和歌をたしなみ、多くの連歌会に参加しており、一休宗純との親交も深かったようです。
そのため、アニメ「一休さん」に登場する、寺社奉行・蜷川新右エ門のモデルになったと考えられるでしょう。

なお、足利義教が死去すると出家して、智蘊(ちうん)と号しました。
没年は1448年で、法名は五峰です。

伊勢貞親の正室は、蜷川親当の姉で、伊勢氏とは婚姻関係もありました。
ややっこしいのですが、伊勢貞親の姉妹が嫁いだ一族の伊勢盛定の子に、伊勢盛時(北条早雲)がいます。

蜷川親当の娘は、上野・金山城主である岩松明純(いわまつ-あきずみ)の正室となっており、1461年に岩松尚純を産んでいます。

蜷川親当からは、蜷川親元、蜷川親孝と代々政所代を世襲し、蜷川親順のときに、娘が明智一族である斎藤利賢の正室となって、明智光秀の家老として活躍する斎藤利三を産んでいます。
斎藤利三の正室は斎藤道三の娘で、継室である稲葉一鉄の娘は、丹波・黒井城にて春日局を産みました。

蜷川親世(にながわ-ちかよ)が丹波・蟠根寺城(園部)の城主となりましたが、1565年、足利義輝が三好三人衆に誅殺されると所領を捨て出羽に逃れましたが、1569年に死去しました。
また、四国に逃れた長男・蜷川親長は、長宗我部元親に仕えています。
ちなみに、長宗我部元親の正室は、斎藤利賢と蜷川親順の娘(蜷川親世の姉妹)が産んだ元親夫人と言う事になります。
斎藤利賢の長男は、実母の再婚相手である石谷光政の養子となって、幕府で仕事をしましたが、足利義昭が京を追われると、明智光秀の重臣となりました。



とにかく、幕府の奉公衆は、お互いに婚姻関係であることが多く、読み解くのに非常に注意が必要です。

なお、格闘家の武蔵さんは、蜷川新右衛門の末柄となります。

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