源重信をわかりやすく1分で解説【光る君へ】音楽を得意とした公卿

源重信

源重信とは

源重信(みなもと の しげのぶ)は、平安時代中期の公卿で922年に生まれた。
父は、宇多天皇の皇子である式部卿・敦実親王で、その4男。
母は、太政大臣・藤原時平の娘。

2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、俳優の鈴木隆仁(すずきりゅうじん)さんが源重信の役を演じられる。


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父・敦実親王と同じく音楽に秀でており得意とした。
兄弟に僧侶・寛信、僧侶・寛朝、源雅信、僧侶・雅慶がいる。
兄の寛朝(かんちよう)と、弟・雅慶(がけい)は東寺長者・大僧正となり、真言密教の重鎮として活躍した。

源重信は若い頃に武官を歴任し、修理大夫を兼ねると、出家して仁和寺に住んでいた父・敦実親王を尋ねた際に、ぐるっと周って内裏の周囲を見て回り、破損している塀などがあれば修理したとされる。

源重信の妻は藤原朝忠の娘、源高明の娘、藤原頼忠の娘、藤原師輔の娘が見受けられる。
なお、藤原頼忠の娘が産んだ子女は、藤原道隆の4男である藤原隆家の妻となった。

960年、参議。
歌合の御遊では、源重信が拍子を担当したとある。
969年、安和の変で左大臣・源高明が左遷された。
この時、源高明の娘を妻にしていた源重信は昇殿禁止となったが、円融天皇のもとで復活。
天禄3年(972年)権中納言となり、973年に再び昇殿を許されている。
天延3年(975年)中納言。
貞元3年(978年)大納言へと昇進し、天元4年(981年)正二位となった。
一条天皇のもと991年には右大臣となり、兄・源雅信と兄弟で左右大臣の官職を占めた。
正暦5年(994年)、亡くなった兄・源雅信の後を受けて左大臣に昇進。


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翌正暦6年(995年)5月8日、病気により源重信は死去。享年74。
最終官位は左大臣・正二位。

源重信の宇治の別荘は、没後に姪の婿・藤原道長が買い取り、のちにその息子・藤原頼通に伝えられて平等院となった。

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