石垣島「川平貝塚」ちょこっと解説~石垣の国指定史跡「仲間満慶山英極の本拠地?」

川平貝塚

川平貝塚とは

川平貝塚(かびらかいづか)は沖縄県石垣市川平にある貝塚で国指定史跡に指定されています。

日本において縄文時代の貝塚は発見されているだけでも約2500個所もあります。
数が多い割に、貝塚に興味がある方もほとんどいないでしょう。
よって、この川平貝塚の記事も、ほとんど読まれることはありません。
しかし、北海道と沖縄に関しては、日本人のルーツにもつながる可能性があるため、たまたま訪問できた際には記事として取り上げております。

そもそも「貝塚」(かいづか)と言うのは、縄文人などが生活するうえで、食べたあとの貝殻など「ごみ」として大量に捨てた場所のことを言います。
もちろん諸説ありますが、縄文人が「集落」を構成して貝塚近くに定住していた可能性があると言えるでしょう。
すなわち、紀元前7000年頃からの人々の生活を知る上では大変貴重な遺跡とも考えられます。


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川平貝塚は、石垣島の西北部にあり、川平湾と崎枝湾のちょうど中間地点にあたる標高30mの丘上にあると言う感じです。
地震による石垣島の隆起・沈降などがあったかも知れませんが、現在の地形では海まで1.1km、歩いて15分程度と、貝塚としては結構離れているような印象を受けます。
ただし、川平湾、崎枝湾、どっちにも1.1kmですので、中間であると言う事を重視するとベストな場所と言え、標高30mもあれば水はけなどもよく、津波対策にもなっていた可能性はあります。

石垣島「川平貝塚」

貝塚から出土した遺物は、貝殻・貝皿・土器・青磁(せいじ)・石斧(せきふ)・石皿などだったようで、いわゆる外耳土器を含む土器類、中国製品を含む陶磁器類、石器、貝器等が認められたと言う事です。
先島諸島の遺跡は、大きく分けると陶磁器類を伴出する遺跡と、それを伴わないより古い時代の遺跡、更には石器のみを出土し土器を伴わぬ遺跡の3つに分類できるそうです。

川平貝塚(獅子森の遺跡)の場合、1904年(明治37年)に調査され、沖縄県では初の遺跡調査となった場所だそうです。
仲間森・獅子森と呼ばれる丘であり昔は仲間村があったようです。
川平集落から近く、出土遺物から14世紀~15世紀頃(1300年~1500年頃)の遺跡と推定されています。
<注釈> 昔は15世紀~16世紀とされていますが、最新の研究では100年早い模様。

仲間満慶山英極

川平の豪族としては、平家落人の子孫ともされる憲章氏の元祖・仲間満慶山英極(1467年~1500年頃?)も知られていますので、関連性があるかも知れません。
1500年に八重山諸島で起きたオヤケアカハチの乱の際に、仲間満慶山(なかま みつけいま)はオヤケアカハチから登野城の仲須目原(ナカシィメーバル)に呼び出されました。
しかし、オヤケアカハチ(遠弥計赤蜂)への協力を断ったとされ、帰り道に馬に乗っていたところ、名蔵湾のケーラ崎に作られていた落とし穴に落下し、襲撃されて殺害されたとあります。
現在の名蔵ヴィレッジ前にあるビーチだと考えられます。
仲間満慶山終焉之地の碑もあるとか?
別途、仲間満慶山英極の墓は、底地ビーチの南側にひっそりとあるようです。

仲間満慶山には8名の男子がいたようで、のち首里大屋子役(シナゴーヤー)という役職に就いたとあります。
また、仲間満慶山の子孫としては、江戸時代初期に石垣島宮良の頭職になった石垣親雲上永将(石垣永将)などがいます。


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要するに、石垣島の川平貝塚は縄文時代の貝塚と言う事ではなく、本州では足利尊氏・室町幕府の頃にはあった遺跡とも言えますが、川平火番盛も近くにあることから江戸時代初期まで使われていた可能性があるかもしれません。
なお、「外耳土器」と言う特徴ある土器も発見されたと事です。
これにより沖縄本島などと異なり、八重山に独自の地域文化が存在していたと考えられているようです。

となると、時代的にも、集落などの史跡と言え、貝塚と呼ぶには無理があるとも考えますが、明治時代の考古学はまだ今よりだいぶ遅れているため、貝塚と呼ばれたのでしょう。

現在、川平貝塚は御嶽にもなっているためか?立入禁止になっているようですので、道路からの撮影に留めました。
入っていいですよとなっていても、深い茂みになっているため、正直あまり見学したくないところです。
近くには群星御嶽もありますが、こちらも当然立入禁止です。
でも、川平貝塚は国史跡となっているように石垣島の歴史的にも重要な遺跡だと感じました。


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観光名所・川平湾から底地ビーチに行く道路右側にあります。
川平貝塚に駐車場はありませんが、道路は駐車禁止ではなく、極端に交通量も少ないため、路肩に1分だけ止めさせて頂きました。
しかし、このように一生懸命、記事として残させて頂いても、ほとんどご覧頂ける方がいないと思うとちょっと寂しい限りですが、史跡は未来永劫残ることを信じたいと存じます。
見ましたとコメントを残しても頂けないでしょうしね。(^-^)

沖縄や石垣の当方オリジナル地図では、観光地の駐車場などをポイントしております
スマホで表示すればカーナビとして使用することも可能。(バス乗車・歩行者・自動車のナビ可能)
地図の検索窓から施設名を入れて選択願います。

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