五郎の沓石【曾我五郎時致の史跡】

五郎の沓石

五郎の沓石とは

              

五郎の沓石(くついし)は、神奈川県小田原市曽我谷津にある、曾我時致(曾我五郎時致)の史跡です。
相模・曽我城(曽我氏館)の脇を通る道沿いにあると言う感じです。

五郎の沓石

最初、五郎の沓石がある場所が、近くまで行っても、わからなかったのですが、よくよく見ますと、道路わきの崖にあると言う感じになっていました。
事前調査で、足で踏んだ跡があると言うので、地面にあるものと思い、下ばかり見て、歩いていました。
正確な場所を、当方のオリジナル地図にてポイント致しましたので、もし、迷った場合には、ご参照賜りますと幸いです。

曾我兄弟の話は、江戸時代に歌舞伎や浄瑠璃で演じられて、大人気となったため、ゆかりある各地に、伝承として伝わる史跡がいくつもあります。
曽我荘にも、当然、いくつかありまして、そのひとつが、五郎の沓石になります。


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案内板の説明によると、下記の通りになっています。

この石は、「五郎の沓石」と呼ばれ、あるとき曽我五郎(曽我物語で有名な曽我兄弟の弟)が足を患ったが、治癒した際、自分の体力が衰えていないかと心配になり、試しにこの石の上で踏ん張ったところ、石が足形に窪んでしまったといわれ、その足形が石の真ん中辺りに残っています。
この沓石には、以前は、足を病んだ人たちが祈願して治ったお礼に、草履や草鞋などのお供え物が絶えなかったといわれています。

まぁ、実際にはあり得ない話ではありますが、曽我兄弟の父・河津祐泰は、体格も大きく、伊豆巻狩の際に源頼朝の前で行われた相撲で、日本一の名を有していた、俣野五郎を破ったと言う、怪力の持ち主です。
そんな伝承から、五郎の沓石と呼ばれる奇石になったのかも知れません。


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この付近は、古墳時代の古墳もあります。
2006年の発掘調査によると「柄鏡形敷石住居」という縄文時代後期の住居跡などもみつかっています。
柄鏡形敷石住居(えかがみがたしきいしじゅうきょ)と言うのは、神奈川県でも多いような気が致しますが、住居の出入り口部分が外に張出していて、床には平らな河原石を敷いていると言う特徴があります。
曾我兄弟とは、関係ないですね。
大変失礼いたしました。(^-^)
これ以上、ご紹介できる、五郎の沓石の追加情報はないです。

すぐ近くには、曽我兄弟の墓もある城前寺曽我氏館跡もありますので、セットでどうぞ。

交通アクセス

五郎の沓石への行き方ですが、JR御殿場線・下曽我駅から徒歩13分です。

五郎の沓石は、道路わきにありますが、道路は1.3車線で、クルマを止めると、住民の皆様の迷惑になります。
来る途中に、城前寺の参拝者駐車場がありますので、入口を当方のオリジナル地図にてポイントしておきます。
一番近いのは、城前寺の北側にある駐車場となります。
なお、有名な曽我梅林がある地ですので、梅の季節は道路が渋滞します。


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少し離れたところに、満江御前屋敷跡と、満江御前の墓も、別途ありますが、駐車場もあるので車で移動しても良いでしょう。

相模・曽我城 (曽我氏館)の歴史解説~曽我兄弟が育った曽我荘・謎の曽我信正
城前寺の解説~曽我兄弟の墓・曽我祐信の墓・満江御前の墓(曽我荘)
河津祐泰のわかりやすい解説~怪力の持ち主でもあった伊東氏の嫡男
満江御前屋敷(曽我氏下屋敷)の解説~曽我兄弟の母が暮した地
曾我祐信(曽我祐信)の解説~曽我兄弟の養父・小田原にある曾我祐信の墓
満江御前の墓(曽我・法蓮寺)~曽我兄弟の母が眠る地
史跡めぐりにも便利なオリジナル関東地図

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