建勲神社とは【織田信長を祀る】織田家三十六功臣の額も

建勲神社

建勲神社(けんくんじんじゃ)は、織田信長を主祭神、織田信忠を配祀神として祀っている京都市船岡山にある神社です。正式名称は「たけいさおじんじゃ」。「けんくんじんじゃ」「けんくんさん」として親しまれています。
112mある船岡山の高台にある境内からは、大文字山・比叡山・東山三十六峰の眺望を楽しむことができます。織田信長の業績にちなんで、大願成就・開運・難局突破・産業指導の神として広く信仰されています。

・主祭神:贈太政大臣贈正一位 織田信長
・配 祀:織田信忠卿 三位左近衛中将 織田信忠

建勲神社の歴史

幕末、日本では佐幕派と攘夷派の抗争を経て、明治新政府が誕生します。
明治2年(1869年)、明治天皇は「日本が侵略されなかったのは、戦国時代に日本の統一の礎を作った織田信長の功績が大きい」として、健織田社(たけしおりたのやしろ)の創建を決定。明治3年(1870年)には、「建勲」の神号が与えらました。
「建」=「国を治める」、「勲」=「功績がある」という意味があるので、「明治という国家の設立に功績があった」という神号になります。

建勲神社

まずは、織田信長の子孫:天童藩知事・織田信敏の東京屋敷と、織田家旧領地の山形県天童市に建勲神社が造営されました。そして、明治8年(1875年)に別格官幣社となり、このタイミングで京都の船岡山に神社が建てられました。
豊臣秀吉正親町天皇の勅許を受けて、織田信長の廟を建てようとしていたのが船岡山だった、という浅からぬ縁もあります。

建勲神社

船岡山は、京都市内にありながら標高112m、周囲1,300mの規模を持つ小山です。このロケーションが、京都市内で起きた紛争に度々利用されました。応仁の乱(1467年~1477年)では山名宗全率いる西軍の陣地として。また永正8年(1511年)には、室町幕府の内紛で船岡山合戦が起きています。さらに永禄5年(1562年)には、伊勢貞孝が足利義輝三好長慶に対して船岡山で挙兵しています。
一方、平安京を建設するときの北の起点であり、船岡山の真南が大極殿、朱雀大となっていました。平安時代の京都のメインストリートが船岡山の南に通っていたことになります。このように、織田信長が神として祀られる船岡山は、京都における重要地であるようです。

織田家三十六功臣

船岡山の頂上付近に平成20年(2008年)に登録有形文化財に指定された本殿、神門、拝殿があります。この拝殿には、織田信長三十六功臣の額が飾られています。織田信長は「家臣の叙任、褒美に気を配っていた」と言われています。この意思を汲み、織田家に対し功績のあった36名の家臣のハイライトとなる事績を描写。拝殿にかかげることになったとされています。
(スペースの関係で実際に拝殿に掲げているのは18名分)

建勲神社

池田恒興稲葉一鉄、猪子兵助、氏家卜全、織田信業、織田信光蒲生氏郷河尻秀隆木下秀吉、斎藤利興、坂井久蔵、坂井政尚佐久間信盛佐久間盛政佐々成政柴田勝家、菅谷長頼、滝川一益、武井夕庵、道家尾張守、細川藤孝丹羽長秀原田直政、平手汎秀、平手政秀、福富貞次、不破光治堀秀政前田利家村井貞勝、毛利秀高、森長定(森蘭丸)、森可成、簗田出羽守、山内一豊、湯浅甚助

おおむね美濃攻め終了までに家臣になった武将で、木下秀吉をはじめ後に大名になった武将~織田信長の小姓まで幅広く網羅されています。
(拝殿に立ち入ることはできないので、近くで額を見学することはできません。拝殿の外から額自体を見ることはできます)

別格官幣社とは?

建勲神社の社格は明治政府が定めた別格官幣社とされています。国家のために特別な功労があった人物を祀る神社のことです。明治5年(1872年)に楠木正成を祀る湊川神社が一例目となりました。
その後、昭和21年(1946年)に制度が廃止されるまで28社が別格官幣社となっています。
建勲神社は明治8年(1875年)に別格官幣社となっており、全体でみると6番目です。戦国時代の武将だと、豊臣秀吉、徳川家康毛利元就上杉謙信、前田利家などを祀る神社が別格官幣社となっています。


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祭事

・例祭 7月1日
 天正10年(1582年)6月2日は新暦の7月1日にあたるので、この日に
 本能寺の変に関する祭事を行います。

・船岡大祭 10月19日
 織田信長の功績を後世に伝えるお祭り。年によって異なりますが
 仕舞、舞楽が奉納されたり、宝物展示や火縄銃演武なども行います。


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アクセス

住所:京都市北区紫野北舟岡町49

・バス
京都市バス「建勲神社前」または「船岡山」バス停より徒歩9分

・車
名神高速道路 京都南ICより約35分、京都東ICより約35分 

(寄稿)渡辺綱

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