大谷吉継の首塚について
【大谷吉継の首塚】
所在地:〒521-0016 滋賀県米原市下多良131
無料駐車場が設置されたそうです。
数台駐車できるそうです。
駐車場兼資材置き場、という立て看板がありました。
【説明】
関ヶ原の合戦で、
西軍石田方の参謀であった
大谷刑部吉継(1559年~1600年)の首塚と伝えられている石塔です。
小形の一石五輪塔で、半間四方の覆屋の祠(ほこら)の中に祀られています。
江戸時代に彦根藩士によって著された
『淡海木間攫(おうみこまざらえ)』では、
この塚は水口城主だった長束正家(なつかまさいえ)の墓と記しています。
ところが『改訂近江国坂田郡志』第2巻(1941年)によれば、
正家は関ケ原合戦後蒲生郡で自害し、
その首は京へ送られており、正家の首塚ではないとしたうえで、
関ケ原での小早川秀秋の裏切りによって、
西軍の敗北を悟った吉継が、
敵に首を渡さないよう、
湯浅五助の介錯(かいしゃく)で自刃し、
甥の僧祐玄が首を錦の袋に入れて、
敦賀への逃亡の途上に、
この地に埋め隠したと伝わっているとの事です。
今でも花が手向けられ大切に守られ供養されています。
石塔には記帳ノートがあります。
また、大谷吉継の墓は、
終焉の地である関ヶ原にもあり、
湯浅五助の逸話も有名であるので
どちらかといえばその地の方が周知の事実かと思います。
けれども、地元の方々によって綺麗に整備され、
大切に守られてことおり、
また関ヶ原よりも琵琶湖に近く、
より故郷に近いこの地もまた、
大谷吉継の縁の地であるのでしょう。
さて、この地に参れば頭痛が治ると囁かれているとか・・・。
頭痛でお悩みの方は是非ともお参りなさってはいかがでしょうか。
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