城前寺の解説~曽我兄弟の墓・曽我祐信の墓・満江御前の墓(曽我荘)

城前寺

城前寺とは

城前寺(じょうぜんじ)は、神奈川県小田原市曽我谷津に寺院で、曽我兄弟の墓などがあります。
城前寺の創建は、鎌倉時代初期の1193年とされ、曽我兄弟の叔父・宇佐美禅師が、この地に庵を結んだのが始まりとされます。
そして、富士で父の仇・工藤祐経を討った、曽我兄弟の菩提寺となりました。

城前寺

基本的に、曽我兄弟の遺骸は、富士・鷹岡の地で荼毘に付されました。
その後、一周忌法要を 箱根権現(箱根神社)にて行い、曽我祐信満江御前(横山時重の娘)、叔父の三浦義澄と、和田義盛によって、富士の鷹岡に埋葬されたとされています。


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ただし、曽我兄弟の首は、鄭重に清められ、宇佐美禅師が曽我の里にも持ち帰って埋葬したともされます。
その後、いつのことかは不明ですが、曽我氏館跡の花畑から、若い男性の骨を納めた骨壷が見付かり、それを、曽我・城前寺の土塁に埋葬したと言う話もあります。

城前寺

それにしても、宇佐美禅師と言う僧侶が気になります。
宇佐美氏は、伊東氏の一族でもありますので、親戚の僧侶であったと考えてよいでしょう。
ただ、一般的に「禅師」とつく、僧侶は、まだ、この時代には早いと申しましょうか、まだ、存在しない呼び方である可能性があります。
また、慣例としては、朝廷から下賜されるのが、禅師でして、贈られた僧侶の多くは、俗世の名前は使われません。


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例えば、鎌倉時代に、波多野義重の支援で、永平寺を開いた、久我通親の子は、久我氏な訳ですが、久我禅師と呼ばれるのではなく、出家して道元となったので、道元禅師と呼ばれる訳です。
そのため、出家前の宇佐美氏の名で、宇佐美禅師と呼ぶのには、とても違和感を感じます。
と考えると、宇佐美禅師と言う名は、のちの創作なのかも知れませんが、曾我兄弟と同じ一族が供養したと信じたいところです。

曾我兄弟

曾我兄弟の墓がある場所は、城前寺の本堂の左手を奥へと進んだ、本堂の裏手にあります。
高い土塁のうえに、左から、曽我十郎・曾我五郎の兄弟の墓、養父・曽我太郎祐信の墓、実母・満江御前の墓と、4基の大きな五輪塔が建っていました。

曽我兄弟の墓・曽我祐信の墓・満江御前の墓

写真では、わかりにくいと存じますが、大名でもないのに、墓の規模としては、大きなほうだと存じます。
下記の2基は、曽我兄弟の墓になります。

曾我兄弟の墓

右側の墓は、曽我祐信の墓・満江御前の墓と言う事です。
とても立派です。

曽我祐信の墓・満江御前の墓

ただ、難癖を、つけるつもりはないのですが、鎌倉時代から墓を設置していて、この城前寺にあったとしても、今の状態は、後年に、再整備したように感じます。
昔の墓が、こんなに、仲良く、となりどうし、夫婦の墓でも、すぐ横に並んでいると言うのは、あまり見たことがなく、違和感を感じます。
幅(広さ)に余裕がないのであれば、話は別なのですが、幅10mくらいはありそうな土塁ですので、1mくらい、少し、離していても、おかしくないように感じます。
広さに余裕がある割には、墓石と墓石が近すぎると感じまして、最初から、土塁に墓があったとは考えにくいところです。
私の感覚が、おかしいだけかも知れませんが・・・。

曽我兄弟の墓・曽我祐信の墓・満江御前の墓

ともあれ、規模もあり、4基あると、メチャクチャ、インパクトがありますし、正式に近い、曽我兄弟の墓の墓なのかな?と感じます。
ちなみに、曽我祐信の墓は、山上のほうにも、立派な鎌倉時代の墓があり、満江御前の墓も、近くの法蓮寺の墓地にもあることを、付け加えさせて頂きます。


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曽我十郎が大磯の虎御前をしのび、腰を掛けて笛を鳴らしたと言うのが忍石です。
城前寺の境内にも、その忍石のひとつがあるとされます。
どれか、よく分からなかったのですが、下記の写真の右側・地面にある岩が、城前寺・忍石なのかも知れません。

城前寺・忍石

他にも、坪内逍遥筆で歌舞伎の俳優さんなどが、寄進した曽我兄弟の記念碑などがありました。

曽我兄弟の記念碑

毎年5月に、曽我兄弟を悼む法要「曽我の傘焼まつり」が行われます。
なんでも、曽我兄弟は、あだ討ちの際に、松明(たいまつ)代わりに、傘を燃やして使った故事にちなみ、傘を燃やして弔い、地元の五穀豊穣を願うようです。

城前寺の見学所要時間は15分もあれば充分です。

交通アクセス

曽我・城前寺への行き方ですが、JR御殿場線・下曽我駅から徒歩10分で、城前寺です。

クルマの場合、城前寺の広い参拝者駐車場がありますので、入口を当方のオリジナル地図にてポイントしておきます。
道路から駐車場には、下る坂になっていて、自動車のバンパー下を擦りそうに感じましたが、ギリギリ大丈夫でした。
心配な方は、城前寺の北側にも駐車場がありますので、そっちのほうが良いかも知れません。
なお、有名な曽我梅林がある地ですので、梅の季節は道路が渋滞します。


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近くには、五郎の沓石や、曽我氏館跡も、歩ける範囲にあります。
梅林の上(標高が高いほう)には、曾我祐信の墓がありますが、道路は狭いです。
少し離れたところに、満江御前屋敷跡と、満江御前の墓も、別途ありますが、駐車場もあるので車で移動しても良いでしょう。
平地でしたら、相模・大友氏館が、そんなに遠くありません。

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