北条執権邸跡(ほうじょうしっけんていあと)は、神奈川県鎌倉市小町にある史跡です。
鎌倉幕府にて、執権(しっけん)を担った北条家(得宗家)の邸宅があった場所で、通称は小町亭と呼ばれていました。
もともと、北条家の鎌倉屋敷は、鎌倉亭と言い、現在の鶴岡八幡宮・二の鳥居がある
最初に住んだ執権は、第2代の北条義時です。
第3代執権の北条泰時、第4代の北条経時は、みとの鎌倉亭に住みましたが、他の執権は、暫定的に就任した第7代・北条政村を除いて、全員が北条執権邸(小町亭)に住んでいます。
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最後の執権・北条高時が、朝も昼も宴会をして、田楽法師などの踊りなどを毎日楽しんだのもココです。
なお、闘犬・闘鶏は鳥合原で行ったとする説があります。
後醍醐天皇が笠置山で挙兵し、足利尊氏が鎌倉勢の総大将となって討伐に向かう際には、この小町亭にて源氏累代の白旗などを授かりました。
1333年に新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉に攻め入った時、戦火で焼けて屋敷は灰と化しました。
北条高時をはじめ、北条一族が自刃した東勝寺は、南東400mほどの山のところにあり、徒歩6分くらいと近いです。
新田義貞の軍勢が鎌倉になだれ込んでも、ほとんど逃げていなかったと言う事になりますね。
現在、小町亭の敷地には、宝戒寺(ほうかいじ)が建立されていますが、東勝寺を再興させ名を改めた寺です。
この寺は、鎌倉幕府が滅亡したあとに、後醍醐天皇が足利尊氏に命じて、1335年に建立したもので、北条一族の霊を弔っています。
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鎌倉の北条執権邸跡への交通アクセス・行き方ですが、JR鎌倉駅東口より徒歩約10分です。
鶴岡八幡宮からは徒歩5分ほどの距離になります。
駐車場は近隣のコインパーキング利用となります。
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