弁当とは 日本における弁当の歴史と語源由来は織田信長?

弁当の歴史

弁当とは

弁当(べんとう)とは?と言う事で、弁当の語源や由来、そして弁当の歴史に関して解説してみたいと思います。
1600年、天下分け目の関ヶ原の戦いの際、西軍として参加していた毛利秀元(21歳くらい)がいました。
しかし、目の前に徳川勢を見ても、攻撃を開始しなかったため、すぐ後ろにいた長宗我部盛親は「なぜ動かないのか?」と問いました。
すると、毛利秀元は「今、兵に弁当を食べさせている」と回答したと言います。
この逸話は、宰相殿の空弁当(さいしょうどののからべんとう)として、伝わります。
宰相と言うのは、当時、毛利秀元の官位は参議で、この参議を唐での役職に置き換えると「宰相」であったことからが由来となります。


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弁当とは、辞書で調べますと、だいたい、屋外で食事をとる必要から携行した食べ物と言う意味になります。
古くは弁当の事を、行厨(こうちゅう)と呼びました。

日本の弁当文化は古く、平安時代には、乾飯を持ち運んでいたことが和歌でも歌われています。

なお、弁当と名付けたのは、織田信長であると言う説があります。
安土城に招待した、たくさんの人々に食事を提供する際には、食物を簡単な器に盛り込んで配ったとあります。
このとき、配当を弁ずると言う意味と、当座を弁ずると言う意(差し当たり、すませると言う意味)にて、初めて「弁当」と名づけたと言われています。

語源の説はもうひとつあり、めいめいの飯桶である食器面桶(めんつう)が「めんとう」となり、さらに「べんとう」と転じたとされます。
食べ物を持ち運びするのに、好都合であったり便利だったことから、弁当と呼ぶようになったともあります。


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ちなみに、江戸時代になって観劇が盛んになると、芝居小屋の近所には弁当屋ができました。
そして、芝居の楽屋の事を「幕ノ内」と呼んでいたことから、観劇用弁当(握り飯に副食物を添えた弁当)は、幕の内弁当と呼ばれるようになったと言う事です。

明治に入ると、日本全国に「鉄道」が敷かれ、長時間移動することもあり「握り飯と香の物」の弁当需要は高まりました。
そして、明治22年(1889年)、兵庫県・姫路駅の「まねき食品」が、幕の内弁当を駅弁に導入します。
当時の幕の内弁当の販売価格は、12銭(現在の2千円~3千円ほど)だったと言います。

このように、料理したものを持ち歩くことは、世界各地でもあったことでしたが、日本では弁当文化が発展したと言えます。
そのため、英語でも、弁当のことは「bento」と、そのまま呼ばれています。

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