藤原公任とは
藤原公任(ふじわら の きんとう)は、平安時代中期の公卿で966年に生まれた。
父は関白太政大臣・藤原頼忠で、その長男。(藤原北家小野宮流)
母は醍醐天皇の皇子・代明親王の娘・厳子女王。
2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、俳優の町田啓太さんが藤原公任の役を演じられる。
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980年、円融天皇出御の元で異例の元服式を行うと順調に昇進。
986年、一条天皇が即位すると父・藤原頼忠は関白を辞任。
藤原兼家が摂政となり、政治の実権が小野宮流から九条流に移り、エリートコースからはずれた。
翌年には同い年である藤原兼家の息子・藤原道長に位階を抜かれている。
992年、27歳で参議。
994年、藤原道兼の養女(実は昭平親王の娘)と結婚。
995年、赤斑瘡(あかもがさ)(はしか)が大流行し、関白・藤原道隆が死去。
996年、長徳の変で藤原伊周が失脚すると、藤原道長が政権を取った。
1008年、藤原道長の邸宅・土御門殿で、一条天皇と中宮・藤原彰子の皇子である敦成親王(のちの後一条天皇)の誕生祝いが行われた。
この宴席にて酔った藤原公任は、紫式部に声をかけたと言う。
すみません。
このあたりに若紫の姫君はいらっしゃいますか?
当時、話題になっていた源氏物語に登場する光源氏が理想した女性の名前が若紫。
この言葉に対して、紫式部は下記のように回答した。
光源氏に似ていそうな人さえ見えないというのに、あの紫の上がここにいるわけないでしょ。
1009年、藤原公任は44歳で権大納言。
1012年、長女(名前不明)が藤原教通(藤原道長の五男)に嫁いでいる。
1023年と翌年1024年に次女・長女を続けて亡くなった藤原公任は気力を失い、辞して出家すると京都の北山にて隠棲。
1027年、源俊賢、藤原道長、藤原行成が死去。
1041年正月1日、藤原公任は瘡湿にて死去。享年76。
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歌人・歌学者だった藤原公任は和歌・漢詩・管弦のすべてに優れ、博識多才であった。
一条天皇の四納言(四条の大納言)のひとりとされる。
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