出雲大社の歴史【大国主大神】わかりやすく2分で

出雲大社の歴史

出雲大社(いずも-たいしゃ)は、島根県出雲市大社町にある人事で、年間660万人が訪れる人気観光地です。
古代から杵築大社(きずきたいしゃ)と言う名称で長らく親しまれてきましたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称しました。
一般的には「いづもたいしゃ」と読むことが多いですが、正式には「いづもおおやしろ」と言います。


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出雲大社の創建は、とても古く、日本神話などで伝承が記述されています。
祭神は、日本神話に登場する日本国を創った神様とされる、大国主大神(おおくにぬしの-おおかみ)です。

大国主

「偉大な国の主人」と言う意味になる大国主ですが、父は天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)で、母は刺国若比売(さしくにわかひめ)とされます。
大物主神は、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)らと一緒に、荒ぶる八十神を平定して、日本の国土経営の礎を築いたと、古事記では紹介されています。

大物主神

その前の話として、大己貴神(オオナムチ)(大国主)が因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)を助けたところ、そのお礼として、八上姫(やがみひめ)と大国主との結婚を仲介し、競争相手の八十神(やそがみ)たちを平定したとあります。
※八十とは80と言う事ではなく、多くのという意味。

因幡の白兎

その後、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に「国譲り」するのですが、大己貴神(大国主)のために造営された壮大な宮殿が、出雲大社の始まりといわれています。

出雲大社

このような神話の話をしますと、諸説もありますし、キリがありませんので、このくらいにしておきますが、出雲では大量の銅鐸や銅剣などが出土した遺跡もあります。
出雲大社の隣にある「古代出雲歴史博物館」にて、展示もされています。

古代出雲歴史博物館

このように、蝦夷、隼人など、日本に古くから住む人々が、国津神 (くにつかみ) の神様として「大国主」を信仰したと言う事になります。
出雲大社は、創建以来、天照大御神の子である天之菩卑能命(あめのほひのみこと)の子孫である出雲国造家が、祭祀を担ってきたとされ、現在の千家氏に繋がります。
千家(せんげ)氏は、日本全国で唯一「国造」を称する名家で、祖先は天皇と同じという事になります。
このように、日本でも、もっとも古い部類になる神社として、今も鎮座しているのが、出雲大社であり、とても歴史も古く、貴重な日本の遺産となっています。

出雲大社

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