織田信康(おだ-のぶやす)は、戦国時代に勝幡城主・織田信定の子として生まれましたが生年と生母は不詳です。
兄に織田信秀(織田信長の父)、弟に尾張・守山城主・織田信光、妹におつやの方などがいます。
織田信秀を筆頭に兄弟は武勇に優れた武将が多く、小豆坂の戦いなど、兄を強力に手助けています。
1533年、兄・織田信秀が主家である織田大和守家(清洲織田氏)の織田達勝と争います。
この時、和睦となると、兄・織田信秀の代理を務めて清洲城にて交渉に当たり、織田信友を後継者に据えています。
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1537年、織田信康(織田与次郎信康)は居城の木ノ下城を大改修して、犬山城としました。
その頃、尾張・岩倉城を継いだ、若い織田信安の後見役にもなっています。
1544年、美濃の土岐頼芸を助けるべく兄・織田信秀は、越前の朝倉孝景と共に、斎藤道三の稲葉山城を攻めますが、大敗を喫し、織田信康は加納口の戦いにて討死しました。
その後、子の織田信清が家督を継いでいますが、1564年に織田信長から攻められて、武田信玄を頼り逃れています。
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