前田まつ(まえだ-まつ)は、戦国時代の女性で、前田利家の正室になった人物です。
出身は尾張とされ、1547年に篠原一計(しのはら-かずえ)の娘として誕生しました。
母は竹野氏の娘です。
尾張・荒子城の前田利春(前田利昌)の正室は、母の妹とされます。
1550年、父・篠原一計が死去すると、母は斯波氏の家臣・高畠直吉と再婚することになりました。
そのため、まだ幼い「まつ」は、母の妹が引き取って、荒子城の前田家が養育します。
そして、1558年、前田利春(前田利昌)の4男である前田利家(20歳くらい)と、まつ(12歳くらい)は結婚しました。
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なお、豊臣秀吉と前田利家は、清洲城下に住んでいたことから親しく、豊臣秀吉の正室・ねね(おね、北政所)と、前田まつも懇意で仲がよかったとされます。
前田まつは、子宝にも恵まれていますが、下記の通りになります。
1559年、長女・前田幸姫(前田長種の正室)
1562年、長男・前田利長(初代の加賀藩主)
1563年、次女・蕭姫(中川光重の正室)
1573年、三女・摩阿姫(豊臣秀吉の側室、のち万里小路充の房室)
1574年、四女・豪姫(秀吉の養女、宇喜多秀家の正室)
1577年、五女・与免(浅野幸長と婚約するも夭折)
1578年、次男・前田利政
1580年、六女・千世(細川忠隆の正室、のち村井長次の室)
本能寺の変のあと、1583年、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家に味方した前田利家でしたが、柴田勢が敗走した際に、前田まつは、越前・府中城にて羽柴秀吉と会見し、前田家の危機を救っています。
1599年、前田利家が病死すると、前田まつは出家し芳春院と号しました。
1600年、徳川家より、前田利長に謀反の疑いがかかると、自ら人質となって江戸城下に赴き、江戸にて14年間過ごしています。
これは、江戸幕府が大名の妻子らを江戸に住まわせる事例の第1号となりました。
1614年、長男・前田利長が死去すると、加賀・金沢城に戻っています。
そして、夫の残した加賀百万石を守り抜き、1617年、金沢城内で死去しました。享年71。
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墓所は金沢市の野田山墓地となります。
芳春院の化粧料7500石は、次男・前田利政の子である前田直之に与えられました。
NHK大河ドラマは「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」では、女優の松嶋菜々子さんが、芳春院(前田まつ)を演じられています。
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