藤原遵子
藤原遵子(ふじわら の のぶこ) は平安時代中期の女性で天徳元年(957年)に生まれた。
父は関白・藤原頼忠で、その次女。
母は代明親王(醍醐天皇の皇子)の娘・厳子女王。
弟に藤原公任がいる。。
2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、俳優(女優)の中村静香さんが藤原遵子の役を演じられる。
978年(貞元3年)、藤原遵子は円融天皇に入内。
後宮に既に藤原媓子(藤原兼通の長女)がいたが、979年、藤原媓子が死去。
そのため、空いた中宮の座を藤原遵子ともう一人の女御・藤原詮子(藤原兼家の次女)が争った。
980年、藤原詮子が第一皇子・懐仁親王(のちの一条天皇)を生む。
しかし、982年、懐仁親王を産んだ藤原詮子ではなく、藤原遵子が中宮(皇后)となっている。
藤原兼家と藤原詮子は、邸宅の東三条邸に引きこもった。
そのため、藤原遵子の弟・藤原公任は、藤原兼家の邸宅・東三条院の前で「こちらの女御はいつ皇后になられるのか?」と皮肉を込めて言い放ったと伝わる。
984年、円融天皇が退位し花山天皇が即位。
円融天皇の譲位後、藤原遵子は里邸の四条第で暮らしたことから四条宮とも呼ばれている。
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986年、花山天皇は藤原兼家の策略により、山科・元慶寺で出家(寛和の変)。
藤原詮子が産んでいた一条天皇が即位した。
990年、皇后宮。
991年、円融天皇が崩御。
藤原遵子が皇子を産むことはなかった。
995年、一条天皇は藤原道長に内覧(ないらん)の宣旨(せんじ)を下す。
長徳3年(997年)出家。
長保2年(1000年)皇太后。
長和元年(1012年)太皇太后。
寛仁元年(1017年)、藤原遵子は61歳で死去。
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