本殿がない「金鑚神社」(武蔵国二宮)わかりやすく解説~坂上田村麻呂も参拝か?

金鑚神社

金鑚神社

金鑚神社(かなさなじんじゃ)は埼玉県児玉郡神川町二ノ宮にある武蔵国二宮(五宮とも)の神社。
御獄山(標高343m)の麓に鎮座する。

参道に入り、途中の駐車場にクルマを止めると、右側に見えるのは多宝塔。
戦国時代武蔵・御嶽城主と推測される阿保全隆(あぼ-ぜんりゅう)/ 阿保泰広が寄進した天文3年(1534年)の建立で、国の重要文化財に指定されている。
紅葉の時期も良さそうだ。

金鑚神社・多宝塔

金鑚神社のご神体は後背の御室山(御室ヶ獄、みむろがたけ)が神体山とにっている。

金鑚神社

そのため、社殿に本殿は設けられておらず、拝殿の裏にあるのは中門と言う建物とのこと。

金鑚神社・中門

このように古くからの磐座信仰と申しましょうか、国の特別天然記念物「御嶽の鏡岩」が中腹にある。
拝殿がない神社は日本でも諏訪湖の諏訪大社と、奈良の大神神社しかない。

ヤマトタケルノミコト(日本武尊)が東征した際に、身に着けていた火をつける道具・火鑽金(火打金)を御室山(御室ヶ獄)に納めたともされ、主祭神は天照大神(アマテラスオオミカミ)と、素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀っている。
<注釈> 火鑽金(ひきりがね)とは、乾燥したヒノキなどの小口に棒をあて、激しくもんで摩擦で火を出す道具

801年、征夷大将軍・坂上田村麻呂が東北へ遠征した際に、戦勝祈願に参詣。
阿弖利爲(アテルイ)らを降伏させ陸奥・胆沢城を築いた。

武蔵七党の一つである児玉党の氏神も金鑚神社となる。


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戦国時代には北条氏康によって滅ぼされた阿保氏にかわり御嶽城主になった長井政実や、鉢形城主・北条氏邦から保護された。

金鑚(かなさな)の名称は鉄の砂「砂鉄」を意味すると考えられる。
要するに、古代に先進技術を有した集団(渡来人など)が創建したとも推測できるだろう。

通常時期、金鑚神社だけであれば見学所要時間は20分といったところ。

初詣では金鑚神社や大光普照寺(金鑚大師)に大勢の参拝客が訪れる。

ショート動画も撮影・編集してみたので、よければあわせてご覧頂きたい。

金鑚神社拝殿の左脇・奥へ進むと「鏡石・見晴台・御嶽城跡」(御嶽コース)の道標がある。
金鑚神社 (約10分→) 鏡石 (約10分→) 見晴台(東郭) (約10分→) 御嶽山頂(本郭)

コケがある階段もあるため、スニーカーなど滑りにくい靴がお勧め。
駐車場に立派なトイレあり。

交通アクセス

金鑚神社への行き方だが、電車の場合、高崎線・本庄駅から朝日バスの「神泉総合支所」行きに乗車。
新宿(しんしゅく)バス停下車して徒歩20分。

クルマの場合、無料駐車場があるが初詣・だるま市では混雑か?

場所は当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でもナビとしてお使い頂ける。
お気をつけて訪問して頂きたい。

武蔵・御嶽城(金鑚御嶽城)の解説~安保晴泰・安保泰倫

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