安房・洲崎神社の古い歴史から「安房」の地名・漢字の起源を探ってみた

安房・洲崎神社

安房・洲崎神社とは

安房・洲崎神社(すさきじんじゃ)は、房総半島の西端、千葉県館山市洲崎にある神社で、安房国一宮とされます。
安産・航海安全・豊漁・五穀豊穣・厄除開運の御利益があるとされ、初詣も人気のパワースポットです。

安房・洲崎神社

祭神は、珍しく、天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)の1柱となります。
天比理乃咩命は女神ですが、忌部氏(斎部氏)の祖神とされます。
忌部氏(いんべうじ)は、古代の日本において、祭祀を司った氏族となり、日本各地に一族が派遣されたようです。


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そのうち、阿波・忌部氏が、安房に来て、安房・忌部氏となった訳です。
具体的には、日本神話にも登場する天富命(あめのとみのみこと)が、忌部氏の親戚でして、阿波国を開拓した阿波・忌部氏を率いて、房総にやってきました。
紙の原料となる、持参した麻(アサ)と、穀(カジノキ)が良く育ったので、その土地は「総国」(ふさこく)(常総 =上総・下総・常陸など)と呼ばれました。
そして、阿波・忌部氏が移り住んだ場所は、安房と言われたわけです。
もちろん、諸説ありますので、これが正しいと申し上げる訳ではありません。

安房・洲崎神社

もう、お気づきだと存じますが「阿波」と「安房」は「あわ」と読み方が同じですよね。
この「あわ・いんべうじ」が、房総に来た頃の日本には、まだ、漢字はありません。
すなわち、四国の阿波も、千葉の阿波も「あわ」と呼ばれるようになりましたが、漢字は、古墳時代になってから使われました。
その最初に漢字で表現する際には、要は「当て字」になるため、房総の「あわ」は「安房」と言う漢字が、あとの時代に使われるようになったと考えられます。

安房・洲崎神社

ちなみに、洲崎神社の祭神である天比理刀咩命は、安房に来た天富命の祖母にあたる女性です。
天比理刀咩命は、別名を、洲ノ神(すさきのかみ)と言いますので、地名でもある洲崎(すざき)の語源にもなった可能性があります。

洲崎神社の由緒を拝見しますと、やはり、天富命に関係があり、祖母神・天比理乃咩命が持っていた鏡を、ご神体として、美多良洲山(御手洗山・標高110m)に祀ったのが始まりとありました。
麓から、147段の階段を登った中腹に、本殿があります。
現在の本殿は、江戸時代初期の延宝年間(1673年~1681年)に建造されたものと事です。


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ちなみに、房総半島の南端にある安房神社も、同様に創建は天富命でして、安房国の一宮となりました。
洲崎神社も、安房・一宮とされるのは、江戸時代後期になってからのことのようです。

平安時代末期の1180年には、石橋山の戦いにて敗れた源頼朝らが、相模湾を横断して安房・洲崎に逃れました。
再起を図るため、安達盛長和田義盛を、交渉の使者として送ったため、無事に戻ることを洲崎神社に祈願しました。
そして、使者が無事に戻ると、江戸・神田の土地を寄進しています。

更に1182年8月11日には、源頼朝の妻・北条政子の安産祈願のため、安房の安西景益が奉幣使として洲崎神社に派遣されています。

海辺にある、浜鳥居からは、東京湾越しの富士山・夕日など、雄大な景色を堪能できます。

安房・洲崎神社

御朱印ですが、洲崎神社は宮司さんが常駐していないようで、階段手前の門の中に、戸棚があり、頂けるようになっています。(書き置きのみ)


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参拝所要時間は20分~30分程度です。

交通アクセス

安房・洲崎神社への行き方・交通アクセスですが、電車・バスの場合、JR内房線の館山駅からJRバス洲崎方面に乗車して、洲の崎神社前バス停下車し、徒歩約5分となります。
クルマの場合、鳥居を入った左手に、10台ほどの無料駐車場がありました。

場所などは、当方のオリジナル関東地図にてポイントしております。
スマホで表示して、検索窓から探し、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。

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