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石垣
高知市浦戸にある坂本龍馬記念館、桂浜荘の敷地は、かつて長宗我部氏の居城「浦戸城」があった場所である。
現在、当時を忍ぶものとして、龍馬記念館周辺には天守台と、移設し復元された石垣、桂浜荘南西部に位置はそのままに、崩れないように補強された石垣が残る。
また、桂浜荘の地下には石垣が埋め戻し保存されている。桂浜荘地下の会議室には、以前埋め戻された、発掘時の石垣の写真を貼っていたが、いまもあるかどうかは定かではない。
天守台
天守台へは桂浜荘・龍馬記念館駐車場の北側に入り口があり、2020年3月現在、地元の方々が立てた「浦戸城跡」の幟がたっているのでわかりやすい。天守台に登ると、城八幡と大山祗神社の祠があり、かつて気象観測施設があったとのことで、その名残のセメントが残っている。
南斜面にはこのように、石垣の裏込石の遺構が残っており、尾根伝いに桂浜方面に石垣が伸びていたことが想像される。
連続堀切
龍馬記念館新館南駐車場側から遊歩道に入り、西にすすむと、曲輪とおぼしき平場が現れる。また、遊歩道途中に3重の堀切がある。本来は4重であった可能性があるようだが、西側の最後の1つは埋まってしまい、明瞭ではない。
遊歩道まで足を運ぶ人は少ないが、こちらは中世山城の遺構が残っているので、城好きにはぜひ足を伸ばしてもらいたい。
新たに発見された畝状竪堀
そして、案内人がいないとなかなかたどり着けないのだが、フェンスを乗り越え、北側斜面に分け入ると、近年新たに発見された畝状竪堀を確認することができる。(写真では非常にわかりにくいが・・・。)
松田(2019)によると、「これらの遺構は、長宗我部親貞から横山九郎兵衛が在城していたころの遺構と考えられる。」と述べている。具体的には、本山氏の支城であった浦戸城を長宗我部国親が奪った1560年から、長宗我部元親が大高坂城から浦戸城に居城を移したと言われている1591年の間の期間のようだ。
浦戸城の歴史
ちなみにこの浦戸城、長宗我部氏が一から築いたものではなく、松田(2019)は「南朝の守護目代方の拠点であったとされている。その後、天文年間に勢力を伸ばした本山氏の支城となった」と述べている。
いまは龍馬ファンの聖地となってしまったが、実は長宗我部ファン、山城ファンの聖地でもある。
坂本龍馬記念館旧館には、浦戸城に関する展示がされており、2019年12月21日~2020年4月5日まで「長宗我部遺臣と土佐の郷士」という企画展が開催された。
(引用文献・参考資料)
松田直則「土佐の山城」ハーベスト出版,2019年,348
高知市史編さん委員会考古部会「遺跡が語る高知市の歩み 高知市考古編」高知市,2019年,154-156
松岡知子編集「週間日本の城 100」株式会社ディアゴスティーニ,2014,9-10
(駐車場等)
駐車場は、坂本龍馬記念館駐車場の警備員さんに、「浦戸城を見に来ました」といえば、坂本龍馬記念館の駐車場に案内してくれる。
観光地である桂浜が近いこともあり、バスも通っており、高知市中心地から公共交通機関で訪れることも可能。
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