荻町城跡展望台(白川郷)

荻町城跡展望台(白川郷)

萩町城跡について

【萩町城跡】
世界遺産である白川郷合掌造り集落を見下ろせる
高台にあり、その眺めは素晴らしく、
まるで精巧にできたジオラマを見ている様でもあります。
現在は展望台として人気のスポットの一つともなっています。

そうした場所にひっそりとお城はあります。
【所在地】
〒501-5627 岐阜県大野郡白川村大字荻町
【形態】
山城
標高545m・比高60m
【城主】
山下氏勝
【遺構】
曲輪・土塁・櫓台・堀切
【築城年】
不明
【廃城】
天正13年(1585年)以降
【文化財】
白川村指定史跡
【駐車場】
無料の駐車場はありますが、
国内外の観光客であふれています。
下から徒歩やマイクロバスで向かうのが
よろしいかと思います。
なお帰りは下り坂なので徒歩でも
楽に行けます。
坂を下ると、右手方向に
「和田家」が見えてきます。

白川郷より展望台バス行あり。
料金:200円
午前9時~午後4時
毎時00分・20分・40分

道のルートは二つあります。
<1>
切妻合掌造りの和田家東方から
緩い傾斜の歩道を登るコース

<2>
国道360号の人家の絶えたところの
自動車道から入るコース。

近くにはトイレや売店、
「天守閣」というレストランがあります。
「天守閣」を目指していかれると容易に
たどり着くことができます。
白川郷を望む景色がより良いのは、
「天守閣展望台」の方になります。

※なお「萩町城跡展望台」は冬季は閉鎖となります。

【構造】
尾根の東側を土塁と堀切で断って独立させています。
堀切は南側が大手の虎口となっていたようです。
この周辺の土塁、駐車場の下あたりには
僅かですが石積が残っています。
本丸のみの単郭式の居館式の城です。
西南角の高台地には物見櫓台があり、
現在祠が建っている辺りです。
搦め手口は東南角にあります。

【城の歴史】
萩町城は、帰雲城の城主である
内ヶ島氏の家臣である山下氏が
代々居住していた城と言われています。

あくまでも伝承の域ですが、
南北朝の時代、動乱を避けて
南朝の公家たちが隠れ住んだ城として
伝わっているそうです。
萩町城の最後の城主となった
山下氏勝は、
天正13年の大地震で、
帰雲城が城下町もろとも
あっという間に土砂や洪水に
呑み込まれ、壊滅したあと、
豊臣秀吉に仕えました。
その際にお城も廃城になったとされています。

萩町城の城主である山下氏勝について

【山下氏勝】
山下 氏勝(やました うじかつ、1568年 – 1653年)は、
江戸時代初期の尾張藩士・幕府役人でした。
幼名に萬壽丸、半三郎。
信濃守・豊後守・大和守を名乗っていました。

【生涯】
永禄11年(1568年)4月6日
(1568年5月12日)、
飛騨国大野郡白川郷の萩町城において
父は山下時慶、
母は内ヶ島氏の子として生まれました。
始めは帰雲城の城主である
内ヶ島氏理に仕えていましたが、
天正13年(1585年)の大地震で
内ヶ島家が滅亡した後、
豊臣秀吉に仕えました。
小田原の役においては先鋒を務め、
文禄・慶長の役も名護屋まで随行しました。
のちに徳川家康に仕え、
近江国蒲生郡において所領を安堵されました。
慶長7年(1602年)、
徳川家康により徳川義直の
傳役に取り立てられました。
なお、徳川義直は、徳川家康の九男で、
のちの尾張徳川家の始祖となる人物です。
山下氏勝の妻は、
徳川義直の実母である
相応院の妹にあたり、
その縁で重用されたと見なされています。
慶長12年(1607年)には、
藩主となった徳川義直に清洲越しを
進言したとされています。

名古屋城築城や城下町整備などで
功績を挙げた人物であったそうです。

死没は、承応2年11月20日(1654年1月8日)です。
墓所は名古屋市千種区平和公園法華寺墓地です。

萩町城の土塁と堀切

お城の東側、駐車場から降りて
脇の小道を入ってすぐの場所にあります。
脇の小道は搦め手辺りです。
更に進むと、近年になって
建てられたとみられる小屋があり、
その付近が虎口と見られています。
その奥が本丸となります。
意外と本丸は広いことに驚きました。
山下氏はここに居館を構えていたかもしれません。

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