武田勝頼とは 分かりやすく1分で解説

武田勝頼とは 分かりやすく1分で解説

武田勝頼(たけだ かつより)は、父・武田信玄の跡を継いだ甲斐の戦国大名です。
戦国時代の1546年に武田信玄の4男として生まれました。
母は側室・諏訪御料人になります。
1562年に伊那の統治者となり高遠城に入りますが、兄で武田家の後継者であった武田義信が自刃に追い込まれます。
2男の兄・海野信親は盲目で、3男は武田信之は11歳で夭折したとされ、武田勝頼が次期当主となりました。
そして、織田信長の養女(苗木城主・遠山直廉の娘)を正室に迎え、1567年に嫡男・武田信勝が誕生しています。
1573年4月、武田信玄が陣中で死去し、武田家を継ぎ、高天神城を落とすなど武田家として領地を最大にしました。
しかし、1575年、長篠の戦いで、徳川家康・織田信長の連合軍に大敗します。
小田原城主・北条氏政の妹を継室に迎えるなどして、勢力回復を狙いました。
また、春日山城上杉謙信が死去すると、軍資金の提供や領地の割譲などを条件に上杉景勝に味方しています。
そのため、北条家との関係が悪化し、新たに新府城を築いて防衛体制を強化しようとしました。
しかし、1582年、織田信忠を大将にした織田勢が大軍で侵攻し、親戚関係にあった木曾義昌が織田信長に寝返り、武田一族の重臣・穴山信君も徳川家康に内通します。
伊那谷では、高遠城が陥落し、迎撃に向かっていた武田家の軍勢も逃げるように統制が取れず、武田勝頼は新府城に火を放って、岩殿城に向かいました。
しかし、小山田信繁に行く手を阻まれ、天目山に向かいまいが、追手が迫り、残存の一族・家臣・侍女らと共に田野にて自刃しました。
これにて武田家は滅亡となっています。

大河ドラマ・映画などで武田勝頼を演じた俳優さん

※敬称略

真木蔵人「武田信玄」(NHK大河ドラマ、1988年)
黒田崇矢「信長 KING OF ZIPANGU」(NHK大河ドラマ、1992年)
市川笑也「天地人」(NHK大河ドラマ、2009年)
平岳大「真田丸(NHK大河ドラマ、2016年)

萩原健一「映画・影武者」(1980年、東宝)

※他にもたくさんあるかと存じますので、コメント欄よりのお寄せ願えますと幸いです。

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