一条房家とは 土佐一条氏の2代目

一条房家

一条房家(いちじょう-ふさいえ)は、戦国時代の武将&公卿で、中村御所主・一条教房の次男として、1477年に生まれました。
母は、町顕郷の養女(加久見宗孝の娘)である中納言局で、弟に尊仁がいます。
兄に権大納言・一条政房がいましたが、応仁の乱の際に、逃れていた摂津・福原の福厳寺にて、山名是豊・宇野政秀らが討ち取っていたため、一条房家は家督を継ぐ立場となりました。

父・一条教房が1480年に死去すると、僅か4歳で家督を継いだ可能性があります。
のち、正室には日野資冬の娘を迎えていますが、一条房家はそのまま土佐・中村で土着して土佐国司となり、1498年には嫡男・一条房冬が産まれています。


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文化・貿易にも力を入れ、中村御所は「小京都」と呼ばれる立派な街になり、土佐一条氏の最盛期を築いています。

1508年、岡豊城長宗我部兼序が、本山養明らによって滅ぼされると、その遺児・長宗我部国親を保護しています。
そして、津野元実を討ち、1518年には土佐の豪族と仲介をし、長宗我部国親を岡豊城に復帰させたとされています。

正二位・権大納言に至りましたが、1539年11月13日に死去しました。
一条房家の墓は、高知県宿毛市平田町の藤林寺にあります。

3代目は嫡男・一条房冬が家督を継承しましたが、僅か2年後に病死し、一条房基へと代替わりしました。

中村御所 (土佐・中村館) 一条教房
一条兼定 お雪供養塔
土佐・中村城 四万十川の戦い
長宗我部兼序 名将と言われながら滅亡を招いた長宗我部元親の祖父
吉良城 吉良親実 最後の土佐・吉良氏
土佐・蓮池城 本山氏と長宗我部氏の攻防
岡豊城【続日本100名城】長宗我部国親

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