安東舜季

安東舜季

安東舜季(あんどう-きよすえ)は、下国安東氏である檜山城主・安東尋季の子として1514年に生まれました。
この頃の下国安東家は蝦夷地(北海道)も支配しており、アイヌ民族が蜂起したショヤコウジ兄弟の戦いなどで、松前大館が陥落するなどしましたが、蝦夷地を訪れる商船から税を取るなどして潤っていたようです。
湊安東氏(上国安東氏)である安東定季(安東堯季)の娘と婚姻し、両家の融和を図り、1539年には安東愛季が誕生しています。

わかりやすく今一度記載しておきますと、下国家(しものくに)が檜山安東氏で、上国家(かみのくに)が湊安東氏となります。

1547年に父が死去して家督を継いだ安東舜季は、まず、1550年に蝦夷地に渡りました。
そして、松前大館蠣崎季広と、知内のチコモタインなどアイヌとを和睦させ、アイヌとの交易の手順もマニュアル化しました。
こうして、檜山安東家による蝦夷支配体制を確立しています。

1551年、正室の父である上国安東氏の安東堯季が死去すると、3男・安東茂季を湊安東氏10代当主に据え、事実上、安東氏を統一しました。
1553年、安東舜季は死去しました。

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蝦夷の志苔館と小林良景 コシャマインの戦い
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