藤原惟成(ふじわらのこれしげ)を簡潔に1分で解説【光る君へ】花山天皇が即位すると五位の摂政誕生になるも糟糠の妻を見捨てた貴族?

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藤原惟成

藤原惟成とは

藤原惟成(ふじわらのこれしげ) は、平安時代中期の貴族で953年に生まれた。
父は藤原北家魚名流の藤原雅材で、いわゆる下級~中級の貴族。
母は藤原中正の娘。

2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では俳優の吉田亮さんが藤原惟成の役を演じられる。


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母が師貞親王(花山天皇)の乳母であったことから、藤原惟成は早くから師貞親王に仕えたようだ。
六位蔵人・式部少丞のあと天延2年(974年)には従五位下。
975年には三河権守となり、皇太子・師貞親王のもと東宮学士・侍読を務めた。
982年、右少弁。
984年、師貞親王が即位して花山天皇になると、蔵人となって天皇の叔父である権中納言・藤原義懐(よしちか)を補佐し政治に関わった。
正五位下と昇進して権勢を誇ったため、五位摂政と称されている。

永観3年(985年)、検非違使佐(左衛門権佐)。
寛和2年(986年)には権左中弁を兼ねた。

しかし、986年6月、寛和の変にて花山天皇が退位・出家。
藤原義懐と藤原惟成(34歳)も共に出家し政治から離れている。法名は寂空。
最終官位は権左中弁正五位上左衛門権佐。

こうして一条天皇が即位し藤原兼家が摂政に就任した。

藤原惟成の妻だが、花山天皇が即位すると糟糠の室と離別。
<注釈> 糟糠の妻(そうこうのつま)とは、貧しい時代から一緒に苦労を重ねてきた妻という意味
その後、源満仲の娘と再婚した。
糟糠の妻を捨て源満仲の婿になったことを恨んだ旧妻は、貴船神社に詣で藤原惟成が乞食になるよう祈ったという。
実際に藤原惟成は出家したあと長楽寺のあたりに住むも生活に困ったようで、托鉢を行う乞食になったと言う。
このように現実になったため、旧妻は食事一式と白米少々を携え施したという話が「古事談」の惟成、旧妻の怨みにより乞食となる事に残る。


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藤原惟成は989年に死去。享年37。

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