藤原為光をわかりやすく1分で解説【光る君へ】藤原兼家と争った藤原北家嫡流筋

藤原為光

藤原為光とは

藤原為光(ふじわら の ためみつ)は、平安時代中期の公卿で942年生まれ。
父は右大臣・藤原師輔で、その9男。
母は雅子内親王(醍醐天皇の10皇女)。
異母兄に藤原伊尹、藤原兼通、藤原兼家、異母姉に藤原安子などがいる。

2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、俳優の阪田マサノブさんが藤原為光を演じられる。


スポンサーリンク



954年に母・雅子内親王が死去。享年45。
正室だった母・雅子内親王が産んだ兄・藤原高光(ふじわら の たかみつ)が、家督を継ぐ立場だった。
しかし、960年、藤原氏の中心的人物だった父・藤原師輔が亡くなり、ショックを受けた兄・藤原高光は出家。
そのため、藤原為光が実質的な家長の立場となり、18歳で左兵衛権佐(さひょうえごんのすけ)、21歳で右近衛少将、970年、29歳で参議となって公卿に列した。

同じ兄弟での参議昇進は、藤原伊尹が37歳、藤原兼通が45歳、藤原兼家は40歳で、父・藤原師輔は28歳だったが、藤原為光は29歳と昇進の速さが良くわかる。

藤原為光の正室は摂政太政大臣・藤原実頼の嫡男・藤原敦敏の娘。
967年に藤原斉信が生まれている。
長女は藤原伊尹の5男・藤原義懐の妻となった。
継室は藤原伊尹の娘、妾にも藤原伊尹の娘がいる。

なお、同母妹・愛宮(あいのみや)は、左大臣・源高明(みなもとのたかあきら)と結婚し、源明子(みなもとのあきらけいこ)という娘を残した。
その源明子は藤原道長の第2夫人・高松殿になっている。

973年、藤原為光は権中納言に抜擢され従三位。
977年、従二位・大納言となり、異母兄・藤原兼家を超えて筆頭の大納言になった。
そして、978年、藤原兼家が右大臣に就任すると将来の摂関の地位を争った。

984年、師貞親王が即位して花山天皇になると、天皇の要望を受けて娘・藤原忯子を入内させている。
しかし、985年、娘の藤原忯子が急死したことが要因で、986年、傷心の花山天皇が出家。(寛和の変)
一条天皇が即位すると、その外祖父・藤原兼家の摂政就任となり、藤原為光は地位を奪われた。
ただし、左大臣・源雅信に対抗する藤原兼家は、藤原為光に協力を求め、右大臣となっている。
987年には従一位と重きを置かれたが、結果的に藤原兼家・藤原道隆親子の下りポジションに藤原為光がいることになっている。
永延2年(988年)、妻と藤原忯子の菩提を弔うために法住寺を建立。


スポンサーリンク



991年、藤原道隆の推挙で太政大臣。
992年6月16日、藤原為光は死去。享年51。
邸宅の一条院は姪・藤原詮子に相続されている。

藤原義懐をわかりやすく1分で解説【光る君へ】花山天皇の叔父として出世するも一夜で権力を失い出家
藤原忯子(ふじわらのよしこ)【光る君へ】すごくわかりやすく1分で解説~僅か17歳で身籠ったまま死去
藤原斉信の要点を1分で解説【光る君へ】振る舞いが高貴な紫式部の上司
藤原兼家をわかりやすく2分で解説【光る君へ】権力争いに勝ち摂政を手に入れた藤原道隆と藤原道長の父
光る君へ【キャスト・出演者一覧リスト】NHK大河ドラマ2024年

フィードバックする
スポンサーリンク
スポンサーリンク

関連記事一覧

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。