朱仁聡(しゅじんそう)をわかりやすく1分で解説【光る君へ】越前に来航した宗の商人

朱仁聡(しゅじんそう)

朱仁聡

朱仁聡(しゅ じんそう) は実在した人物で、平安時代中期の中国の王朝「北宋」(ほくそう)の商人だが生没年など詳細は不明。

NHK2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、中国で最も有名な日本人俳優の浩歌(ハオゴ-)さんが朱仁聡の役を演じられる。
また、朱仁聡らと来航した宋の見習い医師・周明(ヂョウミン)は、俳優の松下洸平さんが演じられる。


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永延元年(987年)10月26日以降、何度か日本に来ている。
988年に来航した際には、朝廷に羊を献上。

長徳元年(995年)9月にも来航すると、林庭幹らとともに若狭国に来航すると越前国へ入った。
この時、唐人である朱仁聡・林庭幹ら70名ほどが若狭国に来航したとの情報が京にもたらせ、藤原道長一条天皇に奏上し、対応をめぐり審議が行われている。
その結果、若狭から越前に朱仁聡・林庭幹らは移されたと言う事だ。(日本紀略)
朱仁聡らは冬を越前国で過ごしたようで、さらに翌年も越前に滞在していたらしい。

長徳2年(996年)1月、藤原為時は越前守に任じられているため、一条天皇が学問と知識がある人材を唐人との対応に当たらせようとしたのでは言う説もあるようだ。
藤原道長は参内すると、越前守に任ぜられたばかりの源国盛を停めて、淡路守になったばかりの藤原為時を越前守に変更している事実がある。(淡路国より越前国は大国であり、国司としての収入的にも大出世と言える。)
藤原為時の娘・紫式部も越前で暮らした。
なお、藤原為時は、朱仁聡とともに来航していた羌世昌(周世昌)と、詩のやりとりしたとも伝わる。
後日談だが、998年頃に紫式部と結婚して唐人の話を聞いた藤原宣孝は「唐人を見に行く」と言っていたらしい。

長徳3年(997年)、朱仁聡が若狭守在任中の源兼澄に対して暴行を行った言う。
なお999年、石清水八幡宮にも献上品を送ったが、その使者が修行僧に捕まったと、石清水八幡宮から朝廷に訴状が出された。

また、長保2年(1000年)、品物の代金をめぐって紛争を起こしたが、越前国から大宰府に移っていたようだ。
<注釈> 皇后宮(藤原定子)が越前・敦賀津にいた朱仁聡から唐物を購入するも、朱仁聡が大宰府に行ったため代金未納となり、朱仁聡が訴えたと言う事件が伝わる。


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朱仁聡らが最終的ないつごろ帰国したかは明らかでないが、約5年間の間に何度か日本に来航したようだ。

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