清水谷製錬所跡 (しみずだにせいれんしょあと) は、世界遺産・石見銀山にあります。
江戸時代の初期、最盛期に世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されている「石見銀山」ですが、その後、枯渇しつつも小規模な採掘が続けられていました。
明治に入って、新しい技術が開花すると、仙ノ山(せんのやま)の南側にある福石鉱床に含まれる「金銀含有率」と「量」に着目し、20万円(現在の20億円程度)という巨額な投資を行って、最新式の製錬所を建設したのが、この石見銀山の清水谷製錬所になります。
萩出身の藤田伝三郎(ふじたでんざぶろう)が経営する大阪の藤田組(同和鉱業)によって、明治27年(1894)に、清水谷製錬所が設置されました。
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製錬(せいれん)と言うのは、鉱石から金属成分を、分離抽出することでして、精錬を行い、純度の高い地金を作ることを言います。
酸・アルカリ溶液で、鉱石から銀を溶かしたあとに、銀を取り出す「収銀湿式製錬」という最新式の技術が投入されました。
電力がまだ届いていない時代、ダイナマイトを使用して、福石鉱床で採掘した原料の鉱石は、大久保間歩から新たに掘削した、下の金生坑(きんせいこう)に落として、トンネルを拡張した蔵之間歩(くらのじょうまぶ)を使い、トロッコに載せて800m、製錬所の最上段まで運搬したようです。
しかし、予想以上に、鉱石の品質が悪く、不採算となり、約1年6ヶ月で、操業停止となったようです。
その後、藤田組は、柑子谷(こうじだに)に、永久製錬所を新たに建設し、鉱業の主軸を「銅」として、大正12年(1923年)まで操業しました。
ちなみに、清水谷製錬所の跡地は、その後、変電所になっていたようです。
「ラピュタ」などとおっしゃる方もおられますが、現在、山の斜面に、石積みの遺構が残っており、春には梅の名所としても知られます。
また、ドラクエ・ウォークの石見銀山・お土産ランドマークにもなっています。
清水谷製錬所跡への行き方ですが、ちょっと、わかりにくいです。
石見銀山公園にある駐車場から、龍源寺間歩までの間にあり、主要道から、脇道にそれた途中から、入口があり、200mほど、坂道を登ったところです。
レンタルサイクルで、そのまま入ることができます。
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清水谷製錬所跡の見学所要時間は、写真を撮るだけでしたら、すぐです。
くまなく見学すると20分くらい、要します。
暑い日には休憩しながら、水分補給も忘れずにどうぞ。
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