小谷城の戦い 浅井長政の最終決戦

小谷城の戦い

1573年(天正元年)8月
圧倒的勝利で朝倉氏を殲滅(せんめつ)した織田信長
勢いそのままに再び大軍で小谷城に戻ってきました。

この時、織田軍が再び小谷城を包囲する前に寝返ろうとする
浅井の家臣が増えはじめます。

朝倉氏が滅亡したことで浅井氏が孤立無援になったと知り、
総勢5千で織田軍3万に対抗するのは無謀だったからです。


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小谷城攻撃

織田信長は、3万の軍勢で小谷城を取り囲みます。
織田信長
「もう浅井は、これで孤立無援となった。」

「次に狙うは、小谷城の浅井長政の首!」

織田軍の兵たち
「おーっ!」

1573年(天正元年)8月27日
織田軍による小谷城攻めが開始されました。

しかし、小谷城は険しい山の上に築かれた難攻不落の山城。
総攻めをしても容易に落とせるものではありませんでした。


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織田信長
「浅井は、兵の数こそ少ないが、あの城を落とすのは至難だな。」

「誰か、良い策を持っている者はいないか?」

「城を落とせたものには、この領地を与えるぞ。」

重臣たち
「・・・・・」

その時、一番末席にいる者が、声を上げました。
重臣たちが、そちらを一斉に振り向くと秀吉がニヤニヤした顔で
信長の方を見ていたのです。

多くの重臣は、怪訝な顔で秀吉を見つめました。
自分達より遥かに身分の低かった者が、こういう場に居ることに
納得のいかない重臣が多かったのです。

織田信長
「猿(秀吉)、何か良い案でもあるのだな。」

「こいつらに遠慮などしなくても良い。」

「早く聞かせろ。」

羽柴秀吉
「はっ! では、早速。」

「小谷城は、難攻不落の山城。」

「多勢で攻めても味方の損害が大きくなるのは明らかです。」

織田信長
「そんなこと分かっている!」

「早く本題を話せ!」

羽柴秀吉
「申し訳ありません。」

「では、本題に入ります。」

「実は、小谷城の京極丸を守っている浅井の者と以前より連絡を取っていて、
こちらに寝返ることに成功しました。」

「夜の闇に紛れて我々の隊で、京極丸に登り占領したいと考えています。」

織田信長
「猿(秀吉)、よくやった!」


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羽柴秀吉
「京極丸を占領した合図に狼煙をあげさせます。」

「そうしましたら織田軍本隊は、本丸に一斉攻撃を開始して頂きたいと思います。」

「私たちは本丸に続く中丸の占領して挟み撃ち攻撃をいたします。」

「これによって本丸の浅井長政と小丸の父・久政の親子を分断することが出来れば
犠牲を最小限にして我々が勝つことが出来ます。」

織田信長
「お前らしい、実に面白い作戦だ!」

「猿(秀吉)。 この小谷城攻め、お前に任せた!」

「これが上手くいったら、約束通りに此処(北近江)をお前に与える!」

「一国一城の主になれば、寧々(ねね)も喜ぶぞ。」

羽柴秀吉

「はっ! 必ず成功させますので楽しみにお待ちください。」

「では、これより準備に入りますので失礼いたします。」

柴田勝家

「あの猿め。 調子に乗りやがって・・・」

丹羽長秀

「まあまあ、何の策も出せなかった我々の方。」

「秀吉が京極丸を占領するのを待つとしましょう。」


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悪い報せ

一方、朝倉滅亡の報せを聞いた浅井長政。
更に悪い知らせが届きます。

自分達の明らかな敗北を知った家臣たちが次々と織田方に寝返ったり、
逃亡してしまったのです。

これまで固い結束で結ばれていた浅井軍にも明らかな綻びが出て
きました。

浅井長政
「父上、朝倉義景殿も亡くなってしまいました。」

「正直、あまり頼りにはしていませんでしたが・・・。」

「これで、我々は完全に孤立無援になりましたね。」

父・浅井久政

「そうだな。 城下に見える織田の大軍を相手にするのは無謀に近いな。」

「この大軍を見れば、あちらに寝返る者が出ても仕方ないだろう。」

「長政、どうする?」

「信長に降伏するのか? それとも意地を通して最後まで戦うのか?」

浅井長政
「父上、申しわけないですが、私は最後まで戦おうと思います。」

父・浅井久政
「わかった。 儂も浅井の主であるお前に従おう。」

「お市や子供達は、信長にお願いして、織田家に戻ってもらうのだ。」

浅井長政
「私も父上と同じ考えでした。」

父・浅井久政
「そうか、良かった。 では、儂は小丸に戻って最後の戦の準備をする。」

浅井長政
「では、父上、またあの世で逢いましょう。」

父・浅井久政
「そうだな。」


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■奇襲作戦開始

1573年(天正元年)8月27日 夜半
京極丸を攻略するため3千の兵を動員した羽柴秀吉。

暗闇に紛れながら、10人単位で急な崖をよじ登っていきます。

この隊には、秀吉と共に数々の戦功を上げてきた蜂須賀(小六)正勝も
一緒でした。

蜂須賀(小六)正勝
「おいっ、秀吉! 信長さまに気に入ってもらいたいのはわかるが、
お前の持ってくる仕事はトンデモナイものばかりだな。」

「お前についていったら、体が幾らあっても持たんぞ。」

羽柴秀吉(木下藤吉郎
「まあまあ、そう言うなって。」

「身分の低い儂が、他の者と同じことをやっても信長さまの印象には
何も残らないだろ。」

「しかし、人のやらないことをやれば、儂のことを憶えてもらえる。」

「そして、早い出世にも繋がるじゃないか。」

「これが上手くいけば、信長さまは儂に此処(北近江)を与えると言ってくれた。」

「そしたら、こんな儂でも一国一城の主だぞ。」

蜂須賀(小六)正勝
「なにっ、そうなのか! そりゃー凄いな。」

「お前が出世すれば、俺も出世する。」

「この険しい崖を登るのも何だか楽しくなってきたな。」

それから1時間ほど険しい崖を登り続けると、目視でも分かる距離まで
京極丸が近づいてきたのでした。


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突然の占領

寝返った武将によって明けられていた門から侵入する秀吉隊。
一斉に攻めかかると、京極丸内は大混乱となります。

秀吉たちは、ほどなくして犠牲者をほぼ出すことなく出すことなく
京極丸を占領したのでした。

秀吉隊によって占領された京極丸から勝鬨(かちどき)が上がります。

羽柴秀吉隊の兵士たち
「えい、えい、おー! えい、えい、おー! えい、えい、おー!」

そして、京極丸から大きな歓声とともに織田の旗が次々と揚がり始め
たのでした。

それを見ていた本丸と小丸の浅井軍。
一気に動揺が走り、城内は混乱状態となりました。

秀吉は、狼煙(のろし)を上げて信長に京極丸を占領したことを
伝えたのです。

■父・浅井久政の自害

京極丸の上に位置する小丸で報せを聞いた浅井長政の父・久政は、
本丸の長政と分断したことに愕然とします。

父・浅井久政
「何ということだ・・・。」

「難攻不落と言われた小谷城が、まさか内側から破られるとは・・・。」

小谷城は城を守る者たちによって固い結束で結ばれていると思っていましたが、
内通者により城の内側から崩されるのは全く想定外の事でした。

家臣
「久政さま、京極丸の織田軍が攻めてきてます。」

「兵の数も圧倒的に織田が有利です。」

「小丸の門が破られるのは、もはや時間の問題。」

「今のうちにお逃げください。」

父・浅井久政
「儂は、逃げたりしない。」

「逃げ恥をさらすくらいなら、ここで潔く自害する!」


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小丸を守る浅井の800の兵に対して、圧倒的な数で攻めてくる
織田軍を目の前にした浅井久政。

これが決定機となり小丸で自害したのでした。
*自害:手段を問わず自身を殺めること

最後の別れ

1573年(天正元年)8月27日 
京極丸を占領したという狼煙(のろし)の報告を受けた織田信長。
信長本隊は、小谷城の本丸に向かって総攻撃をかけたのです。

挟み打ち攻撃を受けた小谷城は、京極丸と本丸の間にある中丸も攻め落とされ、
戦火が本丸にも迫ってきました。

本丸には、浅井の兵以外にも長政の正室・お市、三姉妹などがいました。
長政は、最後まで共にするというお市を説得します。

お市たちを信長の元に帰すことを約束していた長政は、迎えの使者が来るまで
本丸の一室で家族だけで過ごしていました。

浅井長政
「信長殿からの使者が来るまで攻撃が中止となった。」

「せっかくの時間だから、皆でゆっくり話でもしよう。」

お市
「もう他の道は無いのですか?」

浅井長政
「これは、儂が決めたことだ。」

「兄上(信長)も許すとか考えていないだろう。」

「もうよい。 もっと楽しい話でもしよう。」

「茶々は、妹たちの面倒をちゃんとみているか?」

茶々(淀君)
「はい。 初が時々言うことを聞いてくれないことがあるけど、仲良くしてます。」

浅井長政
「そうか、そうか。 初、これからはちゃんと茶々の言うことを聞くんだぞ。」


「はい。 わかりました。」

一時間ほど家族で最後の会話をしていると、信長の使者がやってきたとの
報せが入りました。

浅井長政
「これで皆とは、お別れだが母上の言うことをしっかりと聞いて、浅井家の
人間であったことに誇りを持って生きなさい。」

「父上は、いつでも皆の傍にいます。」

子供たち
「はい! 父上。」

お市
「では、失礼いたします。」

浅井長政
「皆、元気で。」

お市と三姉妹は、信長の使者に導かれて本丸を静かにゆっくりと出て行きました。

間もなくすると戦いが再開します。
最後まで残った兵を率いて奮闘したが、ついに進退極まった浅井長政。

本丸近くの赤尾屋敷で浅井日向守の介錯(かいしゃく)で自刃します。
(*自刃とは、刀などの刃物を使って自殺すること)
享年 29

これにより浅井家は滅亡しました。


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■その後

長政の息子(万副丸)は、小谷城から脱出して潜伏していたところを
秀吉の軍勢によって発見され、関ヶ原で磔(はりつけ)にされ、
串刺しの刑に処せられました。

享年10

信長は、浅井親子と朝倉義景の首を漆と金粉で塗り固め、
正月の宴席で披露します。

それに酒を注いで出席した諸将で飲み交わしたと言われてます。

兄・信長の元に戻った妹・お市と娘たち。
しばらくすると、お市は柴田勝家と再婚します。

しかし、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れると、勝家と共に
自害してしまいました。

その後、お市の娘たちは秀吉に保護され、長女の茶々は
秀吉の側室となるのでした。


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この戦いによって浅井家は滅亡しますが、お市の娘たちが
戦国末期から江戸初期にかけて大きな影響を及ぼしていくのです。

(寄稿)まさざね君

浅井長政の解説「詳細版」初陣で3倍の敵兵力に勝利した勇将
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