武田信勝(たけだ-のぶかつ)は、戦国時代の1567年、武田勝頼の長男として生まれました。
母は、織田信長の養女(遠山直廉の娘)で正室の龍勝院(りゅうしょういん)ですが、本名は不明です。
その母は1571年に亡くなっており、その後、1577年に小田原城主・北条氏政の妹・北条夫人が父・武田勝頼の継室になるものの、武田信勝が世継と定められています。
甲陽軍鑑によると、武田信玄の遺言として、武田信勝が成人するまで、武田勝頼が陣代(後見)するよう命じたとされます。
そして、1579年、武田信勝は元服しましたが、長篠の戦いで織田・徳川勢に敗れて以降、武田家の命運は尽きようとしていました。
1582年2月、織田信長・徳川家康の武田攻めが開始されると、有力家臣の離反などで武田勢は体制を保てず、武田勝頼は新府城を放棄します。
そして、岩殿山城の小山田信茂を頼ろうとしますが裏切られます。
そのため、武田勝頼らは僅かな手勢と天目山を目指しますが、滝川一益の部隊に捕捉され、武田信勝と武田勝頼、北条夫人らは、家臣の跡部勝資・土屋昌恒らと自害したという。
武田信勝は享年16。
大河ドラマ・映画などで武田信勝を演じた俳優さん
※敬称略
黒田勇樹「武田信玄」(1988年、NHK大河ドラマ)
※他にもたくさんあるかと存じますので、コメント欄よりのお寄せ願えますと幸いです。
・武田信勝 織田信長と武田信玄を祖父に持つ御曹司
・武田勝頼とは
・菊姫 (武田信玄の娘、上杉景勝の正室)
・葛山信貞とは
・仁科盛信とは【高遠城の戦い】
・景徳院・鳥居畑の戦い(天目山の戦い)と武田勝頼の墓 訪問記
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