上野秀政とは 明智光秀の家臣に見られる奉公衆

上野秀政

上野秀政(うえの-ひでまさ)は、戦国時代の武将で明智光秀の家臣です。
槇島城主である真木島昭光は、室町幕府の奉公衆でしたが、同じ奉公衆である上野清信の姉を正室にしていたようです。
確実な確証は無いのですが、その真木島昭光と上野清信の姉の子(次男など)から、上野清信の養嗣子を迎えたと推測できるかもしれません。

その養子が上野秀政(上野大和守秀政)と推定され、1571年7月5日出した織田信長の書状に、幕臣の上野秀政・明智光秀に対して、農民の押妨停止を命じたものがあります。
また、1572年4月の年代記抄節の記述に、足利義昭の側近・公方衆として、細川藤孝三淵藤英・上野秀政・明智光秀の名前があります。

上野秀政は織田信長から与力を命じられたのか、明智光秀の家臣(与力)にも、その名が見受けられますが、厳密には、明智家とは別に独立していたものと推測されます。
また、本能寺の変などでの動向は不明です。

足利義昭が毛利輝元を頼った鞆幕府でせは、真木島昭光を筆頭に、一色昭秀と上野秀政の3名が中核をなしていたともされます。
また、足利義昭の命により、槇島昭光が上野秀政を暗殺したたともあり、よくわかりません。



名人・久太郎と称される豊臣秀吉の家臣の堀秀政とは別人と考えられますが、史料によっては、堀氏と混同している節もみられるため注意が必要です。

以上、謎が多く不明瞭な点が多い、上野秀政でした。

上野清信とは 足利氏の一族で室町幕府の奉公衆
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槇島城 真木島昭光の居城を足利義昭が頼った歴史の舞台

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