西郷隆盛(西郷吉之助)

西郷隆盛(西郷吉之助)

西郷隆盛(さいごうたかもり)は幕末の薩摩藩士で、江戸幕府を倒し戊辰戦争で勝利し、明治維新を成し遂げた偉人・維新の十傑のひとりです。
いったい、何をした人なのか?3分でわかりやすく解説したいと存じます。
西郷隆盛(西郷吉之助)は、もともと薩摩では貧しい下級武士の出身でしたが、正義感に強く、薩摩藩主・島津斉彬に見出されると頭角を現します。
そして、異国(アメリカ・フランス・イギリスなど)から日本を守る重要性を感じ、幕府のやり方では日本が植民地になってしまうと考え、幕末には各地の志士らと交流を持ち、日本の将来に向けて京や江戸で活動しました。

主君・島津斉彬が死去すると、弟の島津久光が薩摩藩での実権を握りますが、西郷隆盛(西郷吉之助)は嫌い、大老・井伊直弼による取り締まり「安政の大獄」になると、命の危険も出たため、藩命もあり奄美大島に逃れています。
しかし、同郷だった大久保利通らの尽力もあり、藩政に復帰しますが、今度は、島津久光の命に背いたとして、徳之島へと遠島処分になりました。
ただし、京や徳川慶喜などに顔がきくことから、呼び戻された西郷隆盛は、心を改めて、異国から日本を守るたための活動を再開します。
朝廷への工作として、岩倉具視に接触するなどし、禁門の変では、長州藩から御所を守る薩摩勢を指揮しました。
その後、長州征伐を不成功に終わらせることにも尽力しましたが、もはや、幕府の改革だけでは日本を守れないと悟ります。
そして、坂本龍馬の仲介もあり、仲が悪くなっていた長州の桂小五郎らと密談すると「薩長同盟」を結び、倒幕へと傾きました。
徳川15代将軍の徳川慶喜が大政奉還しても、武力討伐を目指し、王政復古に成功させると、長州藩や土佐藩などと軍を進めて幕府軍と戦い、戊辰戦争になります。
鳥羽伏見の戦いで勝利すると、江戸城へ軍を進めましたが、幕閣の勝海舟との会談にて、江戸城無血開城を実現しました。
そして、まだ幕府側として抵抗を続ける長岡藩・会津藩などを攻撃すると降伏させました。
明治新政府にて、西郷隆盛は陸軍大将と参議になり、重要な職務につきますが、朝鮮を武力侵攻するかどうかの議論「征韓論」に敗れて、政府の仕事を辞職し、鹿児島に戻ってしまいます。
大久保利通とも意見が合わなくなり、西郷隆盛の下野に同調して政府を離れた官僚は約600名ほどいたとされます。
そして、各地で士族の反乱が続くなか、鹿児島では、若手の育成を行う「私学校」を設立して教育にあたりました。
明治政府より、西郷隆盛を暗殺しようとしたとされる刺客が送られたと発覚すると、私学校の旧薩摩藩士らは武力蜂起し、今の政府のやり方は間違っていると、明治天皇に訴えようと考えました。
このとき、西郷隆盛は当初反対していましたが、最後は命を預けようと言う事になり、薩軍の盟主となり熊本城を攻撃開始します。
しかし、政府軍はすでに徴兵制を敷いていて大量に兵を派遣できたのと、雨でも戦える最新の銃器を使用していたこともあり、旧式の薩軍は田原坂の戦いで決定的な敗北を喫しました。
そのあと、薩軍は、宮崎方面から鹿児島へと追って来る政府軍から逃れるように撤退しています。
西郷隆盛も、鹿児島の城山に籠もりますが、政府軍(官軍)により包囲されました。
最後の突撃を行うと銃弾を浴び、別府晋介による介錯にて自刃しましたが、敵からも惜しまれながらの死でした。
西郷隆盛は享年49です。

明治天皇も「惜しい人物を亡くした」と発言した西郷隆盛の名言としては「敬天愛人」(けいてんあいじん)があります。
天をうやまい、人を愛することと言う意味で、座右の銘にする方も多いです。

短く簡単に説明しますと、西郷隆盛は上記の通りになりますが、実際には、もっとたくさんの出来事があり、たくさんの志士が関わりました。
大久保利通の分かりやす解説もあります。
西郷隆盛に関して、もう少し詳しく知りたいと言う方は、下記などが参考になるかと存じます。

大河ドラマ・映画などで西郷隆盛を演じた俳優さん

※敬称略・順不同

里見浩太朗『田原坂』(1987年、日本テレビ年末時代劇スペシャル)
西田敏行『翔ぶが如く』(1990年、NHK大河ドラマ)
鈴木亮平『西郷どん』(2018年、NHK大河ドラマ)

※他にもありましたら、コメント欄よりのお寄せ願えますと幸いです。

【PR】gifbanner?sid=3419257&pid=885389908幕末のドラマ・映画なども

(参考)

西郷隆盛 【西郷吉之助】解説 波瀾な生涯や関係史跡がわかる「写真つき」詳細版

フィードバックする
スポンサーリンク
スポンサーリンク

関連記事一覧

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。